神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

稲岡奴之助は、「ぬのすけ」か、「やっこのすけ」か?

稲岡奴之助だが、御遺族の方によると、「やっこのすけ」と読むと聞いているというので、手持ちの資料を整理してみました。

1 「ぬのすけ」とする資料

 一 『明治文学書目』(村上文庫、昭和12年4月)

奴之助(ルビ:ぬのすけ) 稲岡正文[別号]蓼花、桜庵
             明治六年一月一日京都に生る 浪六門下

 二 『日本近代文学大事典第一巻』(講談社、昭和52年11月)(7月3日参照)

2 「やっこのすけ」とする資料

 一 明治36年8月10日東京朝日新聞「新刊各種」

○新著文藝(第一巻第一、第二号)
奴之助稲岡(ルビ:やつこのすけいなをか)君の編輯する文藝雑誌なり初巻には徳田秋声小栗風葉、木内茶庵、斎藤弔花、三島霜川、高橋山風、秋香女史諸氏と御主人の奴之助君筆を執り二号には田村松魚、小川煙村、長谷川濤涯、内山捻華、田口掬汀等諸士の作あり(略)

 二 明治37年7月16日東京朝日新聞「軍資献金文士大演舌会」

発企者として稲岡奴之助(ルビ:いなをかやつこのすけ)を挙げ、来る18日神田美土代町青年会館で開会し、入場料を恤兵部に寄附すること、出席予定者として、村上浪六、山本露葉、巌谷小波、遅塚麗水、田口掬汀、田中霜柳、草村北星、黒田湖山、国木田独歩、松居松葉、福田琴月、稲岡らをあげている*1。また、文士の原稿を集め某書肆より出版し、利潤を軍資金中へ献納する計画があり、露伴や篁村等の大家をはじめ六十余名の賛助を得たので、演舌会後、直ちに出版事業に着手する*2とある。

 三 明治44年10月12日京都日出新聞 稲岡奴之助「家」の「小説予告」

暫く文壇に高踏的態度を示し居たる奴之助(ルビ:やつこのすけ)の新作なり(略)

以上のことや、御遺族の方が「やっこのすけ」と伝え聞いていることを考慮すると、「やっこのすけ」と読むのが正しいようだ。

なお、稲岡の生年月は『日本近代文学大事典』に記載されているが、日までは書かれていない。しかし、「現代文士録」『文章世界』4巻2号、明治42年2月によると、

稲岡奴之助 名は正文。蓼花の別号あり。明治六年一月一日、京都に生る。村上浪六の門に遊べり。『伽羅少年』『海賊大王』『小英雄』『由井ケ浜』其の他多くの作あり。現住所、本所区向島須崎町百六十五番地。

とある。

(参考)稲岡の明治期の著作については、国会図書館のホームページの「電子図書館」の「近代デジタルライブラリー」で読める。

*1:同月20日同紙の「文士演舌会の現況」によれば、生田葵山も出席。

*2:『文藝界』4巻2号(明治38年1月)「恤兵小説 若菜集」と思われる。稲岡の「はしがき」のほか、幸田露伴「をさな心」、饗庭篁村葛飾わたり」などを掲載。