神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

寺町今出川の宮崎書店が始めた平安巡回文庫

伊良子清白の日記*1にはもう一つ図書館ネタかと思われるものがある。

(大正七年)
十二月二十四日 火曜(略)今出川寺町の宮崎書籍店にいたり平安巡回文庫のことを尋ね(略)
十二月二十八日 土曜(略)平安巡回文庫より左記の雑誌を閲覧することゝす 日本及日本人、中央公論、太陽、文庫世界、婦人の友、女の世界、ホトヽギス、早稲田文学、白樺(略)

「巡回文庫」を図書館問題研究会編『図書館用語辞典』(角川書店、昭和57年10月)で引くと、「図書館が数十冊の図書をセットにして主に団体やグループに一定期間貸出し、閲覧または個人貸出しするもの」とある。おっ、「京都の図書館が巡回文庫をやっていたか、関西文脈の会ネタかも」と思ってしまった。
ところが、念のため『京都書肆変遷史』で宮崎書店の項を見ると、平安巡回文庫は宮崎書店が始めたものであった。同書から要約すると、

創業者:宮崎則忠
創業年:明治42年
創業地:上京区寺町通今出川下ル
宮崎は代々金沢前田藩に仕える士族の家柄で、祖父の代に寺に入籍。成長するにつれ出家を嫌い、入洛。
明治42年寺町通今出川下ルにて雑誌の回覧(平安巡回文庫)を始め、古書も取り扱ったのが嚆矢の様である。大正14年に幹事、昭和6年から同22年までの長きにわたり評議員、副組長、相談役等を歴任。昭和15年「紀元二千六百年奉祝記念」として「二宮尊徳の胸像」の建設が組合で決定され、委員長に就任。胸像は同年12月府立図書館前に完成。昭和24年5月没。

客が店に行き本を借り、返す時も店に行く貸本屋とは逆に、平安巡回文庫の場合は書店の方が客の家に色々な雑誌を持って行ってそこから好きな雑誌を借りてもらい、一定期間が過ぎたら回収に行くという形態なのだろう。前掲辞典によると、日本における巡回文庫は明治35年佐野友三郎秋田県立図書館で導入し、翌年移った山口県立図書館で本格的に行い、のちに全国的に広まったという。図書館が始めた巡回文庫を書店も真似したということだろう。明治末に始めて大正7年の段階でも続いていたということは、需要が相当あったということになる。伊良子が借りた誌名を見ると、中々渋い雑誌も揃えていたようだね。
余談だが、二宮尊徳の胸像って今も京都府立図書館前にあるが、宮崎書店の店主が中心となって京都書籍雑誌商組合が設置した物だったのね。知らなんだー。

*1:『伊良子清白全集』2巻(岩波書店、平成15年6月)