神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『近代大阪』の北尾鐐之助と青塔社の池田遙邨

寸葉会で拾った西宮市北昭和町の北尾鐐之助宛池田遙邨の葉書。
北尾の著書は時々古書展で見かけるが買ったことはない。『日本の写真家』(日外アソシエーツ、平成17年11月)から北尾の経歴を要約すると、

明治17年3月9日名古屋市
東京高商(現・一橋大学)中退
毎日新聞社に入社し、『サンデー毎日』『ホームライフ』編集長などを歴任。『サンデー毎日』では表紙写真を手がけ、PR映画『新聞時代』ではメガホンをとるなど、印刷、写真、映画など幅広い分野でモダンな感性を発揮、グラフィック・デザイン史に大きな足跡を残した。
定年退職後は著述に専念。昭和29年兵庫県文化賞を受賞。主著『日本山岳巡礼』『国立公園紀行』『近畿景観』『近代大阪』『あめりか写真紀行』ほか。
昭和45年9月6日 没

より詳しくは、『復刻版近代大阪』(創元社、平成元年3月)の海野弘解説「モダン・シティ大阪の漫歩者」にある。それによれば、明治45年(大正元年)大阪毎日新聞社入社、新聞記者として活動しながら山を歩き、『山岳夜話』『山岳巡礼』などを刊行。大正11年サンデー毎日』創刊に参加、大正15年(昭和元年)編集長。大正13年『芝居とキネマ』を創刊し、昭和4年まで出している。
また、「写真部の組織と活動」を執筆した『綜合ヂャーナリズム講座』第1巻(内外社、昭和5年10月)の「講師略伝」では、入社年が海野氏の解説とは異なるが、大正2年大阪毎日新聞社に社会部外勤として入社し、編輯から福岡支局長、写真場長、学藝課長を経て写真撮影係主任に昇級。大正13年新写真研究のため米国へ渡航したことや、神戸市上筒井通りに住んでいることが書かれている。
入手した葉書だが、消印は(昭和)39年6月7日付け、裏面は6月10日から14日まで京都市美術館で開催の第9回青塔社展の案内である。「青塔社」は昭和28年3月に結成された池田が主宰する画塾。北尾と池田の関係は残念ながら不明で、今後の課題である。なお、寸葉会に葉書が1枚出たということは他にも古書市場に北尾旧蔵の物が放出されたはずだが、見つけていない。