木山捷平の日記に「ととや」が出てくると、daily-sumus氏にご教示されたが、確かに次のとおり出てくる。
昭和29年6月26日 尾崎一雄祝賀会。山水楼、会費五百円。帰途新宿の 「トトヤ」により、浅見、小田、亀井君と自動車で吉祥寺にかえりて「月若」による。
31年12月11日 井伏氏訪問。(略)井伏氏は今日「トトヤ」で太宰全集の完了祝賀記念会がある由。
32年12月17日 帰途、新宿「ととや」にて、青野季吉、浅見淵、保高徳蔵ほか数人に出遭った。別客に久しぶりに安藤一郎君に、又平林たい子女史あり。
34年8月3日 芥川直木賞授賞式。東京会館にて六時より。(略)
会後、上林暁、瀬沼茂樹、青野季吉氏と共に新宿「ととや」、「馬上盃」による。それより中野「北国」により上林と阿佐ヶ谷にて別れて帰る。
「ととや」は、草野心平の日記にも出ている。
昭和30年6月11日 火の車へゆく。(略)早く帰ろうとして、途中吉田屋で一杯、それからトトヤ。田村隆一、岡本太郎などゐる。角川の記者とまた火の車へかへる。
(参考)・「池島信平が無産知識階級のクラブと呼んだ新宿「ととや」」(4月12日)
・「新宿「ととや」の経営者、安田善一」(4月16日)
・「織田昭子(輪島昭子)と川端康成をつなぐ篠原梵」(4月18日)
・「新宿の「ドレスデン」や「ととや」を飲み歩く高村光太郎」(5月3日)
・「独文学者相良守峯と仏文学者の付き合い」(5月7日)
・「『二十世紀の神話』を訳した独文学者吹田順助」(7月26日)