神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

天神さんで『三人』2巻3号(三人社、大正11年5月)を拾う

北野天満宮にて上記を100円で。16頁の歌誌。所蔵図書館は皆無か。富士正晴らの出した『三人』とは無関係。編輯兼発行人は名古屋市西区の渡邊周一、発行所の三人社も同じ所在地。目次は、

武蔵野小景(短歌) 前田夕暮
庄内川稲生附近(短歌) 森三樹雄
四明ヶ嶽(短歌) 森三樹雄
名古屋歌話会例会記事
歌十七首(短歌) 渡邊周一
比叡より(紀行) 渡邊周一
偶語 社同人
表紙題字 前田夕暮

前田とこの雑誌の関係は不明。斎藤光陽編『前田夕暮全歌集』(至文堂、昭和45年6月)の年譜には、前田はこの年、『短歌雑誌』の選者となり、『秀才文壇』『短歌雑誌』に68首を収載、作品活動の沈滞4年に及ぶ。『短歌時報』に自由律短歌を初めて発表とある。『三人』には10首掲載されていて、そのうち3首が改作の上『虹』(紅玉堂書店、昭和3年3月)に収録されている。
発行人の渡邊については不明だが、森については判明。森不二子編『太湖集 森三樹雄遺歌集』(初音書房*1、昭和53年11月)の略歴から要約すると、

明治35年2月1日 生
大正5年 前田夕暮の白日社に入社
7年10月 同社解散
8年5月 尾山篤二郎の自然詩社創設に参加。爾来、尾山に師事し、作歌を機関誌『自然』に発表
12年 認められて歌壇の作家として遇せられ、その後諸新聞雑誌にも作を発表
昭和4年11月 尾山主宰の雑誌『青海原』を編集
8年4月 尾山主宰編集の『自然』を京都に移し、編集を担当
15年9月 尾山の新雑誌『藝林』に合流
22年12月21日 没

森が前田と親しかった関係で、『三人』に投稿してもらったのであろうか。
「名古屋歌話会例会記事」は、大正11年4月22日森宅で開かれた第1回例会の報告。参加者は、柴田楊花、丹波聖夫、長谷川泰助、吉野鉦二、山本一雄、平松青明、立松青草、森、村瀬宗之助、渡邊。知らない人ばかりだが、「名古屋歌壇に於て健実なる歩みをつゞけてゐる人達」とある。

*1:京都市東山区に所在。