神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戦後も活躍した藤沢親雄

珍しく生身の人間と藤沢親雄について話す機会があったので、最近仕入れた藤沢ネタをアップ。大阪古書会館で拾った吉田東洲『人物遍歴縦横録』(古今評論社、昭和53年2月)。全然未知の本だが、目次を見てみると、人名がずらずらと並ぶ。おっ、藤沢親雄の名があると、本文を見ると、

藤沢親雄は利喜太郎息と思う。文学法学博士であり、四十年前中村嘉寿の夏期大学で、中村の紹介でしる。戦後「神霊教」の顧問格になっていたのでビックリした。教祖の大塚寛一については既に述べた。(略)

とあって、わしもビックリした。戦前トンデモ系で活躍した藤沢だが、戦後は鳴りを潜めていたと思っていたのに、神霊教の顧問格をしていたか。買って帰って調べてみると、桜沢如一も出てきた。

櫻沢如一は「食養」を普及せしめた人である。石塚左玄に[ママ]流れを汲み「身土不二の原則」「根本無双原理」を提唱。東洲が知ったのは櫻沢の名を売出すまえ、ヨーロッパから代議士中村嘉寿が帰朝の船中で櫻沢をしり、それならば「面白い青年がいる」と、帰報早々東洲を櫻沢に紹介した。内幸町幸ビル増田正雄事務所であった。そこはユダヤ問題研究会で四王天延孝中将*1なども出入されていた。(略)

わっ、増田正雄も出てきた。「自序」には「著者が若年より各所各業、運命の翻弄の合間々々に、面接し感受した人々への思慕であり、その面影の断片記」とある。まだ、完読してないが、目次には、金森徳次郎春山行夫星一頭山満衛藤利夫らの名も見える。
ところで、先に二度名の出てきた中村嘉寿。既に「ここにも市河彦太郎の影が・・・」で天津教の外郭団体とされる皇道世界政治研究所の発起人として言及した人物である。戦後は、衆議院の図書館運営委員長をしたらしい(*_*)
著者の吉田は、略歴によると、福岡で『九州公論』主筆、東京で『政界春秋』、『海外之日本』等に関係、各種新聞雑誌に意見発表、満州国で協和会中央本部思想班長。戦後は福岡心霊学会顧問、『古今評論』創刊。よく分からない人物だが、詩人でもあったらしい。
ネットでピンポイントに資料を注文しているだけでは、このような思いもかけない本の発見がない。そういうことで、古書展や古書店には小まめに行きましょう。