神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

煥乎堂の高橋元吉

草野心平の日記に、昭和40年1月28日に亡くなった詩人で群馬県の書店煥乎堂の社長・会長を務めた高橋元吉に関する記載がある。

昭和40年3月16日 午前中に高橋元吉追悼の「つながる僅かの人たち」8枚を書く。(本の手帖。)

    6月25日 駅に石川、古渓両氏迎えてくれる。岡田刀水士もくる。昼食、前橋育英高等学校へ。見聞。クルマで紅雲町五六番地へ。煥乎堂へ寄って透氏に元吉さんの弔意をのべる。

「透氏」は、正しくは元吉の長男で社長の徹と思われる。
煥乎堂は、『昭和十年版全国書籍商総覧』(昭和10年9月)から要約すると、

株式会社煥乎堂
高橋清七
[住]前橋市曲輪町一一二
明治17年6月14日先代常蔵の長男として、前橋市曲輪町に生る。同店は常蔵が明治13年に創立。
大正6年常蔵が逝去し、清七が継承。
大正10年2月資本金百万円四分の一払込の株式会社とし大いに活躍するが、一時隠退し、同12年宇都宮支店を分離し、資本金十五万円全額払込株式会社に変更し、再び社長に就任。
東京堂、東海堂、浅見文林堂と取引し、使用店員は46名の多きに及ぶ。
大正8年率先して群馬県書籍雑誌商組合を組織し、爾来組合長。その他県国定教科書特約販売所代表者、県蓄音器商組合長として重きをなす。
家族は、よし子(45)夫人との間に、ゆう(25)、めい(21)、やう(16)の三女あり。

46名の店員の中には、磯貝憲佑*1や、昭和9年8月清七の弟である元吉の世話で入社し、『内報』の編集人を務める萩原恭次郎も含まれるのであろう。清七は昭和17年5月に亡くなり、元吉が社長となる。

以上、『週刊読書人』連載の矢来神三「活字シアター」の「上州文化の育成に貢献した書店「煥乎堂」の巻」を参考にした。この連載、yukunokiさんも読んでいるかしら。

*1:本名・清吉。昭和5年から15年まで勤め、戦後再入社し、専務