神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

呉清源と世界紅卍字会後援会


呉清源といっても知らなかったのだが、「ウィキペディア」にも立項されているから、著名な人のようだ。
最近岩波現代文庫になった桐山桂一『呉清源とその兄弟』によると、呉は昭和17年4月に中国へ向かい、紅卍字会の布道団の日本への派遣を求めている。

篁道大教の教主であった峰村教平の指示によるものだった。そのころは教団名を「璽宇」と改めていた。峰村は中国の紅卍字会とのつながりを深め、その布道団を日本へ呼び寄せようという思惑があった。日本に帰化したとはいえ、中国人である呉清源をあえて、その使者としたのである。


結局、呉は目的を達成できないまま、同月28日帰国。10月22日に言及した大蔵公望の日記を再掲するが、ここに出てくる「呉」は、帰国間もない呉清源ではなかろうか。

昭和17年5月13日 一二時、世界紅卍字会後援会の久し振の理事会を延寿春に開く。松井、呉、小田、其他の人々出席。東京の華僑に話しかけ、それが中心となり、紅卍会道場を設けさせるようにすることに決定す。

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紅野敏郎『「學鐙」を読む』(雄松堂出版)の正・続。ジュンク堂さんにありました。失礼しました。

ん、バイトの誰ぞに代わって、u-sen氏の出現する悪寒。