神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(その8)


3 知的戦士養成機関スメラ学塾(承前)


市河彦太郎は、外務省文化事業部第二課長。後に、文化学院西村伊作不敬罪で検挙され、有罪判決を受けた時、身元引受人となって釈放に尽力した人物。
石原廣一郎は、石原産業会長。マレー半島の鉄鉱石採掘、南洋資源の開発に従事した人物(『人物レファレンス事典』(日外アソシエーツ)から)。
この二人が講師というと、南方政策、文化工作活動の一環という感じになってくる。


丸山熊雄は後のフランス文学者。『キャパ その青春』(リチャード・ウィーラン著)中の「原注、訳注、雑記」で沢木耕太郎

もう何年も前のことになるが、学習院大学文学部教授だった故丸山熊雄氏の未亡人明子さんから、氏の遺著ともいうべき『1930年代のパリと私』を送っていただいたことがある。さっそく本を開いてみると、口絵に丸山夫妻とその友人知人たちのパリ時代の写真が何葉か掲げられていた。(中略)
たとえばある一家の送別会の記念写真に写っている日本女性のすべてが美しい人だ。諏訪根自子、小島淑子、西村ユリ、原智恵子、城戸又一夫人、それに丸山未亡人の旧姓である山崎朋子。(中略)
口絵の写真には私にとって興味深い人が何人も写っていた。先の記念写真には少し斜に構えた山田吉彦が写っている。山田吉彦、つまり「きだみのる」だ。また、「マントンにて」というキャプションのついている海水浴の写真には、キャパの友人だった井上清一と岡本太郎が写っている。


と書いている。ちなみに、この「ある一家の送別会」のある一家とは、小島威彦一家のこと。また、丸山は、フランスで川添紫郎や小島らと知り合った仲というだけでなく、国民精神文化研究所の「思想対策に関する調査嘱託」にもなっていることが判明した。


なお、この写真に写っている男性としては、「きだみのる」の他に、西村久二(西村伊作の長男)、城戸又一(毎日新聞パリ特派員)、坂倉準三などで、川添紫郎・井上清一は所要で不参加、撮影者は小島の義兄深尾重光とのこと。
更に、この丸山の遺著では、仲小路彰のことが戦後の政財界の黒幕Nとして書かれている!



第二期の講座になると、いささかきな臭くなってくる。


第二期は、昭和15年10月から11月まで開催され、講師は、末次信正、小島威彦、石原廣一郎、志田延義、高嶋辰彦(陸軍大佐)、於田秋光(陸軍中佐)、奥村喜和男、吉田三郎、伏見猛彌、白鳥敏夫大島浩国民精神文化研究所のメンバーに加えて、新たに軍人と外交官までもが講師に。白鳥、大島が何者かは、説明不要だよね。知らん、なんて言う人は帰ってちょ!


於田秋光は、昭和16年11月に第16軍参謀(作戦主任)になっているので、高嶋辰彦、町田敬二とともに、ジャワの文化報道作戦の関係者かと思われる。