神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『キング』の時代に一撃を放つ岡本綺堂

佐藤卓己『『キング』の時代』によると、

本来、『キング』創刊は当初、一九二三年十二月発行の二四年新年号と予定されていた。だが『キング』誌名登録の六日後、一九二三年九月一日『キング』の用紙について紙問屋岡本商店の岡本正五郎と商談中に激震が走った。この関東大震災によって計画は一年間延期された。


当初予定されていた大正13年新年号には岡本綺堂も執筆予定だったようだ。岡本の日記によると、

大正12年8月6日 二時過るころに「現代」の広瀬照太郎君来りて、同社にて来春より「キング」といふ雑誌を発行するに付、何か読切の小説をかいてくれといふ。承諾。広瀬君は一時間ほど語りて去る。

大正14年1月の創刊以後も、岡本の日記に『キング』は登場する。

  14年3月6日 「キング」編輯の野口君が来て、何か寄稿しろといふ。病気で新規の依頼はすべて断る旨を答へ、野口君もその意を諒して帰る。

    8月19日 「キング」の中島君が来て、新年号の原稿をたのむ。どうも多忙で困るのであるが、よんどころなく承諾。

    11月19日 夕刻に「キング」の中島君が来て、先日わたしが寄稿した原稿を訂正してくれといふ。そんなことは出来ないと云つて断る。中島君が帰つたあとで、郵書をキング主任の広瀬照太郎君に送り、当方から原稿料を返却するから、かの原稿を戻してくれと云ひやる。講談社はその勢力を恃んで近来頗る横暴の嫌ひがあるから、この際一撃をあたへて置く必要があると思ふ。

広瀬は前掲書によると、『キング』の初代編集長。快進撃を続ける『キング』に一撃を放つ岡本だが、絶縁したわけではなく、その後も寄稿している。

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今週の黒岩さんの書評は、ジュリアン・バーンズ『文士厨房に入る』(みすず書房)。弁当男子なるたわけた男もいるようだが、わしは厨房に入らず、というか料理ができないという話もある。

文士厨房に入る

文士厨房に入る

田中貴子さんは、倉島長正『国語辞書一〇〇年』(おうふう)でした。