生田勉の日記に、坂倉準三が出てきた。
昭和14年11月29日 坂倉準三氏宅にて、忠霊塔懸賞の為、徹夜。本城和彦、丹下健三、浜口隆三、其の他日大の学生二名。愉し。夫人も徹夜いろいろの心づくし。
11月30日 坂倉さん十一時過ぎ円タクで入江君のも一しょに朝日新聞社にもって行く。
12月11日 坂倉さんのところへ新京の図面(*)見に行く。ちっとも出来ていない。又手伝わされることに決定。
*原注 旧満州国「新京南湖住宅計劃」図のことで、設計担当は坂倉のほか西沢文隆、浜口、柴田良広、丹下、本城、富田陽一郎、雨宮(忠正)である。
12月13・14日 坂倉さんのところに行く。疲労を覚える。
スメラ学塾やクラブシュメールはまだ設立されていない時期だが、坂倉邸に集まった人々の様子が記された日記があったとは、うれしい。
(参考)2006年4月15日、同月26日
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『ゲーテ』9月号「会員制倶楽部の悦楽」特集にクラブ関東登場。スメラ学塾の小島威彦ゆかりのクラブ関東については、2008年12月28日、昨年11月11日参照。