神保町系オタオタ日記

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国家主義者笠木良明と仏教者藤井日達の関係について補足ーー小川原正道編『近代日本の仏教者』からーー

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 笠木良明の大亜細亜建設社と仏教者との関わりについては、「近代の仏教者達と国家主義団体大亜細亜建設社ーー笠木良明のもとに集まる多田等観・山辺習学・足利浄円・中井玄道ーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。その中で伊藤武雄『満鉄に生きて』が笠木の師匠格らしいとしていた日蓮宗の僧侶で日本山妙法寺創立者藤井日達(1885-1985)との関係について補足しておこう。小川原正道編『近代日本の仏教者:アジア体験と思想の変容』(慶應義塾大学出版会、平成22年4月)のランジャナ・ムコパディヤーヤ「藤井日達ーー「西天<インド>開教」の体験」による。

 さらに、日達はアジア主義者として知られていた笠木良明や頭山満とも親交があった。笠木は法華経の信者でガンジーの崇拝者であったことから日達との接点があった。さらに、笠木は、大川周明北一輝らと共に「老壮会」、「猶存社」や「行地社」といった結社を組織し、大連では「東亜青年居士会」や、勤務先の満鉄の社員を中心とした「雄峯会」の設立などに尽くした人物であったため、彼の下にアジア主義に関心をもつ青年たちが集まっていた。その一人は後に日本山のインドでの活動において重要な役割を担う丸山行遼であった。笠木に進められて丸山は一九二五年に日達のもとを訪ねて来たが、日達に感激し、その場で日本山の僧侶になることを決意した。(略)

 このほか、昭和9年4月24日付け笠木宛書簡に「満州国家の建国に穢土に仏土を建立し衆生を菩薩行に奨導する」と仏教者の立場から満州国建国の意義を主張しているという。