竹内好の日記に「ぐろりあ・そさえて」が出てきた。
昭和15年1月12日 保田紹介の「ぐろりあそさえて」の人、『支那現代文学史』を出版せぬかと云ってくる。出版したきは山々なれど、稿なく研究なきを如何せん。
1月18日 「ぐろりあそさえて」の山田氏訪ねて来る。大高で三年後輩なり。独文出の由。保田の話などする。今書いたものはないが何か考えようと約す。
「山田」は、社員で東大卒の詩人山田新之輔と思われる。「保田」は「ぐろりあ・そさえて」の編集顧問をしていた保田與重郎で、昭和6年大阪高等学校卒。竹内も同年に卒業している。『コギト』*190号(昭和14年12月)所収の「同人住所録」によると、伊藤佐喜雄、伊東静雄、長尾良*2、保田、山田は同人であった。山田の詳しい経歴は不明だが、のちに(戦時中か)奈良の酒造家に迎えられ、谷川に姓を変えたという。
(参考)高橋輝次『古本が古本を呼ぶ』の「ぐろりあ・そさえて寸描 神戸出身の出版人、伊藤長蔵のおもかげ」、伊藤佐喜雄『日本浪曼派』。
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誰ぞの好きな佃實夫は昨年が没後30年だったらしい。「知の希求者・佃實夫の仕事」展が徳島県立文学書道館で1月5日〜2月7日開催されていた。