神保町系オタオタ日記

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閔妃暗殺と織田純一郎

角田房子が亡くなっていたというので、閔妃暗殺関係の話。
李相哲『朝鮮における日本人経営新聞の歴史(一八八一−一九四五)』によると、明治27年12月、陸奥宗光外務大臣は、井上馨朝鮮駐在公使に朝鮮文新聞発行者として織田純一郎を推薦しようとしたという。結局、井上は自分が使う人間だから自分にまかせてくれと返答したという。この新聞は、『漢城新報』で、明治28年2月創刊、社長は安達謙蔵として実現した。この安達や編集長らは、閔妃暗殺事件に関与したとされる。三田村鳶魚に冴えない男と言われてしまった織田だが、もし『漢城新報』の社長となっていたら、その後の人生はどうなっていただろうか。

(参考)昨年11月6日

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