川上初枝が大正12年3月頃若林不比等と結婚し、若林初枝となった後、いつから内山若枝と称するようになったかは不明。しかし、大正15年ではまだ若林初枝だったようだ。『主婦之友』昭和2年新年号の「編輯日誌」*1によると、
大正15年11月19日 新年号で万葉百歌選の挙を発表することにした。(略)私たちをしてこの挙を計画させたものは、大連の愛読者若林初枝さんである。
日高みほは、霊能者となる前は、大連で『主婦之友』を愛読する一主婦だったのかしら。
これを書いた主婦の友社の創業者石川武美は、戦後「主婦之友社取締役社長、日本出版会々長」を理由として公職追放。斎藤晌*2とは、日本出版会つながりということかしら。
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福島正実が「佐藤享一」としているのは、もしかしたら「佐藤亮一」の誤記かもしれない*3。
佐藤亮一は、ヨセフ・カリニコフ『大いなる河』を昭和34年に石川信夫(最新科学小説全集の訳者と同名)と共訳している。
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ん、朝日に『一箱古本市の歩きかた』の紹介が出てるやうな。