谷崎は、明治43年11月20日に三州屋で開催された「パンの会」で初めて永井荷風に出会ったことや、出席者の中に木下杢太郎などがいたことを記している(『青春物語』)。
一方、木下も同日の日記*1に「Tanizaki」と記録している。
ところで、木下の大正6年4月5日付け和辻哲郎宛書簡*2には、
今度谷崎の玄奘三蔵を読んだが一体何者だい。丁度徳川の芝居の時平公や道真公のやうなものだ。僕にはチツトモ此頃の小説が感心出来ない。
とある。これを最初に読んだときは、「何者だい」とあるので、木下は、谷崎と面識があることを忘れていると思ってしまったが、おそらくそう解釈すべきではないのであろう。谷崎は、翌年10月の支那旅行で木下宅に滞在することになる。
谷崎が、「パンの会」で木下杢太郎(本名太田正雄)と会っていることが確実なのは、明治43年11月20日の他に、もう1日存在する。
野田宇太郎『パンの曾』(六興出版社、昭和24年7月)によると、徳田秋聲の明治45年2月10日の条に次のように記されている。
パンの大会に招かれたるを以て四時より日本橋の三州屋と云ふ洋食店へ赴く。会するもの長田兄弟、小山内、太田、生田葵、谷崎、平野、秋田、北原、吉井氏ら十四五名なり。(略)
谷崎と云ふ人は作物以上に好きなり。