神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治38年『新古文林』創刊


平塚篤は、『日本近代文学大事典』によると、明治16年9月常陸生まれの新聞記者で、東京専門学校中退。黒岩さんの『編集者国木田独歩の時代』によると、『民声新報』時代に独歩と知り合い近事画報社に入ったという。この平塚が『増補版 森鴎外・母の日記』に出てくる。

明治38年3月31日 夜は潤三郎の友達平塚(原注)来<る>。晩めしを出す。同人はこの度、矢野文雄氏と面白き雑誌を出す由其話をする。
原注:平塚篤のこと。
凡例:< >は原著の編者の補筆。


近事画報社から、この年5月に『新古文林』、7月に『婦人画報』が創刊されているが、「面白き雑誌」とは前者のことだろうか。