神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

市橋善之助と冬夏社

市橋善之助という人物については、一昨年5月29日に言及したところであるが、岸田劉生の日記*1にも出てきた。

大正11年5月19日 村娘かいてゐたら約束で市橋善之助君来る。冬夏社から本を出してもらひ度い様子だが云ひにくさうにしてゐる。先約が二つもあるので一寸急には出せさうにもなくて気の毒だ。市橋を待たせて仕事をつゞけて、村娘仕上げる。


市橋は大正7年早稲田大学英文学科卒。同年の同学科卒業生には、柳田泉、大槻憲二、長谷川浩三、吉田甲子太郎らがいる。市橋は、大正10年に冬夏社からドストエフスキーの翻訳を出しているが、11年頃には冬夏社の編集者のようなことをしていたのだろうか。なお、冬夏社は、大正7年田豊穂らが創業した春秋社の兄弟社であったらしい。


(参考)日本近代文学大事典によれば、大正7年11月に佐竹弘行、木村荘八、竹内逸らによって創刊された『藝術』の協力者として、岸田と共に、市橋善之介(ママ)の名が見える。


追記:春秋社・冬夏社と植村宗一(のちの直木三十五)、木村毅柳田泉浜田広介、古館清太郎、鷲尾浩(のちの鷲尾雨工)ら早稲田人脈との関係については、小田光雄『古本探究』155-158頁に書かれている。ただし、市橋は出てこない。

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明治44年
2月 「源さんと〜」→4月
3月1日 「正親町」→弟の実慶の方
7月 「〜室内楽〜」→「〜室内画〜」
9月 「二人〜」→「三人〜」

*1:岸田劉生全集第七巻』