神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戦後の枝元枝風(枝元長夫)

国木田独歩と親しかった枝元枝風(本名・長夫)。戦前に、近事画報社、東京日日新聞社に勤めていたことは判明していたが、戦後も健在だったようだ。ブンポさんから復刻された『昭和21年度版最新出版社・執筆者一覧』(同年9月発行)によると、

社名 白林書房
代表者 枝元長夫
主要事務責任者 大友喜作
出版部門 科学
住所 東京都京橋区銀座七ノ四


この大友は、『昭和六年版新聞年鑑』に東京日日新聞社学藝課社員枝元長夫と共に校正部長として出てくる大友喜作と同一人物だろう*1。白林書房は、国会図書館OPACで、昭和17年から19年にかけての発行が確認できる。

枝元は昭和23年度の出版社一覧(22年12月発行)には出てこない*2ので、その頃までに亡くなったか、出版業を廃業したのであろう。今のところ没年は不明、とうっかり書くと、誰ぞがあっという間に調べてしまいかねないが。
なお、黒田三郎の日記昭和21年8月3日の条に、「蘇鉄社、枝元という名刺を持った男がくる。南九州から文芸雑誌を出すから寄稿してくれ、という話。いい加減にあしらっておく」と出てくる枝元も同一人物かもしれない*3


(参考)昨年1月24日

*1:昭和九年版には枝元の名はない。

*2:白林書房の代表者は、小松崎徳太郎になっている。

*3:早稲田大学校友会会員名簿によると、枝元長夫の出身地は、鹿児島である。