神保町系オタオタ日記

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大正期親鸞ブームの中『燃え出づる魂』を書いた小松徹三の経歴ーー大澤絢子『親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか』(筑摩書房)への補足ーー

 大澤絢子先生の『親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか』(筑摩書房、令和元年8月)の本論に補足はできないが、人物情報であれば補足できそうである。大正期の親鸞ブームの中で、創作『燃え出づる魂:親鸞の新生』(弘文閣、大正11年4月)を書いた百貨店日日新聞社社長の小松徹三について「生没年未詳」とされている。調べると、生年は分かった。『新聞人名辞典』第2巻(日本図書センター、昭和63年2月)に収録されている名簿のうち、大正13年版『日本新聞年鑑』の「名鑑」以降、昭和5年版まで小松について記載がある。これらによると、明治22年1月埼玉県児玉郡今井村生。群馬県立藤岡中学校を出て、早稲田大学法科専門部*1その他に学ぶ。数種の月刊雑誌や日刊通信社を経営し、二、三の新聞社に在籍した。大正13年昭和5年版当時は、中央新聞社に勤務。号無涯。
 その後は、退社したようで、百貨店専門の出版社を興している。まずは、百貨店時代社(日本橋区本石町)。林幸平『予を繞る人々:越後屋から三越まで』(昭和5年7月)を刊行。この続編は、社名変更をしたのか百貨店商報社(神田区皆川町)から7年7月刊行。続いて、翌年11月同社から百貨店商報社編『日本百貨店総覧第一巻三越』を発行。12年5月には、百貨店日日新聞社(神田区司町)から小松『大阪松坂屋の全貌上巻松坂屋名古屋店』を、翌年7月に百貨店日日新聞社編輯部編『京阪デパート大観:開店満五周年記念』を発行している。
 このほか、小松『大三越の歴史』(16年5月)は日本百貨店調査所(神田区司町)名義で発行(発売は日本百貨店日日新聞社出版部)している。百貨店関係の複数の会社を経営していたことがわかる。同書の近刊予告には『高島屋総覧』が挙がり、「自序」には姉妹編『大三越の人物』の続刊を記しているが、発行の確認はできない。また、「著作目録」にある創作『生命の嵐』(弘文閣、大正14年3月)の発行も確認できない。戦前の百貨店に関する研究者の多くが小松の編集・発行した書籍を利用しているので、経歴をもっと調べる必要があるだろう。
 ところで、小松のその後である。埼玉県立久喜図書館が所蔵している小松徹三『埼玉本庄郷土史話』(郷土史研究会、昭和46年)という本があるようだ。当時の本庄市は小松の出身地である埼玉県の元児玉郡今井村の一部を含む地域である。また、前記「名鑑」には小松の趣味として「風俗研究と芝居」や「歴史研究と芝居」が挙がっている。同一人物だろうか。

親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか (筑摩選書)

親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか (筑摩選書)

  • 作者:絢子, 大澤
  • 発売日: 2019/08/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

*1:早稲田大学校友会会員名簿』で卒業は確認できない。