神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

台北帝国大学附属図書館司書達の戦後


昭和20年8月、大日本帝国敗戦。すぐにでも内地へ引き揚げたい者が多かったであろうが、金関丈夫を始めとして、台北帝国大学の教官達の多くが留用されることとなる。同大学附属図書館の司書もまた、その仲間となった。


京都帝国大学経済学部を出た星野弘四(45歳)は、国立台湾大学と名を改めた大学で引き続き図書館員として勤務。
森澤巖(45歳)は、第一高等学校卒業で、引き揚げ後は、広島大学本部図書館等に勤務することとなるが、彼もまた台湾大学図書館に留用されている。
佐藤経尚(41歳)は、京都中央佛教学院卒という変り種だが、同様に留用されている。


以上3名とは異なり、早稲田大学文学科を出た樋口末廣(45歳)は、台湾省編訳館に留用。樋口は、『読書相談』3巻3号(日本図書館協会、1951年3月)に「新聞切抜資料の作り方」を執筆しているから、彼も引き揚げ後、図書館に関係していたようだ。


台北帝国大学附属図書館で司書を務め、敗戦後も留用された4名の図書館員。この中に裏川大無と名乗った創刊号コレクターは含まれているであろうか。


(注)括弧内の年齢は昭和22年現在。
(参考)昨年7月25日、「書物蔵」。「民国三十六年二月職域別留用者名簿」(『台湾協会所蔵台湾引揚・留用記録 第八巻』)