神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

ジンギスカンになりそこねた男松本君平


松本君平が蒙古独立運動を画策したことは、ma-tango氏*1もふれていたが、宇都宮徳馬の父太郎の日記に出てくることは知られていないであろう。
日本陸軍とアジア政策 陸軍大将宇都宮太郎日記2』(岩波書店、2007年7月)によると、

明治45年6月1日 中井喜太郎来衙、松本君平、察哈爾の四土侯を瞞着し、自分を成吉汗の後裔と信ぜしめ、事を与にせん約束を為し来りし故、兵器二千挺を与へんことを請ひしも、第一該地方は露と協商せし我範囲外に属するのみならず、一金の準備も無く到底今日に実行し難き考なれども、兎に角君平に面会し見んと考へ、其内同人を余の許に送るべきを答ふ。


    6月9日 約により松本君平来宅す。同人は自ら成吉汗の後裔と称して察哈爾蒙古の三、四旗長を欺き、兄弟の義を結び事を与にすべきを盟ひ、武器輸入の為めに帰朝せし者にて、中井喜太郎より其事を長谷川大将と余丈に打明相談せし故、兎に角面会すべきを告げし故、来り尋ねしなり。計画未だ密ならず、且つ武器を購ふ金員の準備も無く、殊に該方面は露国との協約上面白からざる方面に付き、余は直接幇助すること能はざることを事に托して断はり、武器は能く外交上の事共考へ金を用意して商人に謀れと告げ帰へしたり。


とある。太郎は当時参謀本部第二部長。「長谷川大将」は、長谷川好道参謀総長


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柳田國男全集』(筑摩書房)の続刊はどうなっているのだらう。