神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正5年10月に開催された臨済宗大学(現花園大学)学長釈宗演の碧巌満講会

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年末ギリギリに『図書』1月号を確保。長谷川櫂「悩める漱石」を読むと、氏の曽祖母円覚寺に縁があり、大正2年夏管長だった釈宗演が曽祖母に与えた書が残っているという。そして、

夏目漱石は明治二十七年(一八九四年)暮れから翌年正月の十数日間、円覚寺で参禅した。大学を出て英語教師になっていた。このとき漱石に対したのが若き日の宗演である。この参禅体験は十六年後に書いた『門』に描かれている。

と続いた。そう言えば、昨年宗演の100遠諱記念で「明治の禅僧釈宗演」(花園大学歴史博物館)が開催されたのを思い出した。図録を見ると、『居士名簿』に確かに漱石の本名夏目金之助の名がある。年譜によると、漱石明治27年12月23日に参禅している。
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最近は近代仏教の研究者に会ったり、著作を読む機会が増えたので見に行ったのだろう。しかし、いい爺さんになっちゃったので展覧会の内容はまったく記憶に残っていない(´・_・`)
さて、数年前までは宗演なんて知らなかったオタどんだが、一旦覚えると自称人間グーグルが機動しちゃうのである。だいぶくたびれた人間グーグルではあるが、最近お世話になっている高橋義雄の日記中に宗演に関する記載を発見。『萬象録』4巻中で、

(大正五年)
十月二十一日
(略)
[釈宗演の碧巌満講会]
午後一時、早川千吉郎氏宅に開かれたる碧巌会満講会に出席す。碧巌会は明治三十九年大石正巳、早川千吉郎、野田卯太郎、朝吹英二、大岡育造、徳富猪一郎等の発起に係り、鎌倉円覚寺の釈宗演師を聘して毎月一回碧巌の提唱を聴聞し来りしが、十一年目の今日に至りて満講と為りたるなり。大岡育造、加藤正義外五、六十人の参聴者あり。広間三間続きの上段の間に高き曲彖を置きて宗演師其上に座し、本日は第九十九則国師十身調御、第百則巴陵吹毛剣の二則を提唱し、時々時勢を諷して聴衆に感動を与へける(略)宗演師は五十四、五歳と見受けられしが、数年前一見の際は今少し書生風を帯び居りしに今や殊勝なる僧形と為り、曲彖の上に座したる処を見れば余り品格ある相貌には非ざれども、臨済諸禅師中に斯かる肖像を見受くる事あり、眼光鋭く説法に底力ありて能く人を感動せしむる。其禅話中、近来禅学流行とて猫も杓子も之を口にし、僅か数則に通ずれば早や大悟徹底したるが如く思ふ者あれども、禅は実地研究を以て得らるべきものにして尋常口舌文字の間に得らるべきものに非ず、と世の軽薄なる禅学者を罵倒する(略)

宗演は安政6年12月現在の福井県大飯郡高浜町生まれなので当時、数え58歳。この時、臨済宗大学(現花園大学)・花園学院学長。明治18年慶應義塾入学だから、高橋とは同窓になる。日記中「数年前一見」とあるのは、『萬象録』1巻大正元年9月21日の条の事と思われる。三井集会所で開催された碧巌提唱で、高橋のほか、大石、野田、大岡、加藤、樺山愛輔夫人*1ら総勢6、70名が出席。高橋は大内青巒の提唱を聴いたことがあるので、両者を比較している。
宗演に関しては井上禅定『釈宗演伝 禅とZENを伝えた明治の高僧』(禅文化研究所、平成12年1月)という伝記というより詳細年譜の感がする書があるが、ここまで詳細な記載はない。宗演の研究者の方が御存知無ければ、参考にしていただきたい。
今年も今日で終わり。来年もよろしくお願いします。

釈宗演伝-禅とZENを伝えた明治の高僧-

釈宗演伝-禅とZENを伝えた明治の高僧-

  • 作者:井上 禅定
  • 出版社/メーカー: 禅文化研究所
  • 発売日: 2000/02/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

*1:樺山常子。川村純義の娘で、白洲正子の母