宇都宮太郎の日記は、軍部による資金援助の実態がわかり、非常に役に立つのだが、そういうキナ臭い話ばかり出てくるわけでもない。例えば、後に改造社を創業する山本実彦が、やまと新聞記者として登場する。
明治42年11月24日 やまと新聞記者山本某、(略)来衙。
43年1月11日 山本某(やまと記者)、(略)来衙。
5月12日 (略)やまと記者山本実彦来衙。
7月19日 (略)山本実彦(やまと新聞社員)、(略)来衙。8月23日 (略)大和新聞記者山本実彦来衙。
松原一枝『改造社と山本実彦』(南方新社、2000年4月)によると、山本は明治41年日本大学を卒業後、やまと新聞に入社。43年には英国の国王戴冠式(44年6月22日開催)取材のため派遣されたという。43年のいつ出発したか不明とのことだが、8月までは日本にいたことがわかる。
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2日の朝日新聞夕刊に出ていたが、神戸女学院大学で、出席しても単位は得られず、教員にも手当のでない「発展講義」が、いつも盛況だという。さすが伝統あるお嬢様学校(なのだろう、よく知らないけど)。→「http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK200812020035.html」