神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

アグネス・アレキサンダーからバハイの教えを聞いた福田與

福田與の歌集『草の花』(初音書房、昭和37年7月)の昭和27年の部に「アレキサンダ女史」と題して歌が載っていたので一部を紹介。

七十七歳のアレキサンダ女史に会ひその若若しさにしばし驚く
国々を旅してここに五十年バハイの教をときひろめ給ふ
せまき部屋に七人集ひ秋の夜バハイの教茶をすすりつつきく

『日本エスペラント運動人名小事典』によるとアレキサンダーが二回目の来日をしたのは、昭和25年で昭和42年まで滞在した。福田がアレキサンダーと知り合いになったのはいつだろうか。女史と親しかった鳥居篤治郎とは昭和14年から昭和35年まで勤めた京都府立盲学校で同僚であったから、その関係で知り合ったのだろうか。
本書のあとがきでは亡くなった師友の冥福を祈っているが、その中には中里介山、江渡狄嶺、秦テルヲ、芦田恵之助、真渓涙骨、小笠原秀実、足利浄円などの名前がある。岡田幡(ママ)陽の名前もあり、なぜか没日はネットで見られる年譜とは微妙に異なる昭和21年4月17日になっている。昭和27年の秋、福田と共にアレキサンダーからバハイ教について聞いた7人(又は6人)とは、どういう人達だっただろうか。