神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

盛厚三『木版彫刻師 伊上凡骨』(ことのは文庫)刊行

盛厚三『木版彫刻師 伊上凡骨』(ことのは文庫、2011年3月)が評判だ。遅ればせながら、紹介しておこう。

「凡骨」を『広辞苑』で引くと、「平凡な器量の者」とある。しかし、伊上凡骨(いがみ・ぼんこつ)という男は非凡であった。
『日本近代文学大事典』で伊上の項を書いたのは、野田宇太郎だが、次のように書いている。

伊上凡骨 いがみぼんこつ 明八・五・二一〜昭和八・一・二九(1875〜1933) 木版師。徳島生れ。本名純蔵。上京して江川千(ママ)太郎に木版彫刻を習い*1、美術誌『風光(ママ)』の素描や水彩画を彫り絵画の彫り刷りの名手として高く評価された。文学者との交遊もひろく明治末年のパンの会に加わり人気者であった。名版画の陰の目だたない存在に甘んじて多くの傑作を作り木版師の地位を高めた。(略)

ここには明示されていないが、夏目漱石が自ら装幀をした『こゝろ』の「序」に、「木版の刻は伊上凡骨を煩はした」とあるのを記憶している人もいるだろう。このような凡骨について、この度、盛氏によって、文庫版という入手しやすい形で刊行された。先行研究を踏まえているのは勿論、幾つもの新知見も盛り込まれており、文学好き、装幀好き、奇人好きのうるさいオジサン・オバサンも満足させる出来である。が、そういうオジサンらもさることながら、十代、二十代の若者にこそ読んでもらいたい本である。

凡骨については、私も「伊上凡骨斎藤茂吉の喧嘩」(2008年3月5日)、「『新演藝』の合評会と鴎外の通夜」(2009年12月19日)で言及したことがある。このほか、朝日新聞のデータベースによると、
明治40年6月15日付3面「博覧会の印刷品(四)」・・・「洋風水彩の複写に於て伊上凡骨氏の出品が美術館にも学藝館にもあるが、勿論美術館の方にあるものゝ方が精良である」←盛氏作成の年譜同年5月の項に「東京府主催の勧業博覧会に中沢弘光画『水彩・富士十二景』、三宅克己画『三宅画譜』の作品を出品」とある。
明治44年4月24日付7面「展覧会巡覧 東京勧業展覧会(三)」・・・「木版は国華社の出品益々精巧其他伊上凡骨氏の作品風韻に富む」

岸田劉生の日記大正10年12月9日の条には、岸田の水彩を木版にして、博覧会へも出したいと言っていたという記述もあり、凡骨の作品の博覧会への出品状況も気になるところであり、盛氏の研究の進展に期待する所が大である。

盛氏には、『中戸川吉二ノート』という著作もあり、中戸川の足跡を追う中で、凡骨に出会ったという。その後、凡骨の弟子フリッツ・ルンプも追いかけておられるようだ。黒岩比佐子さんは一つの著書を書く過程で出会った興味深い人物を次々と辿っていく「芋づる式」の執筆をしておられたが、盛氏の「芋づる」は今後どのような魅力的な人物を我々に示してくれるだろうか。

徳島県立文学書道館で420円+送料で販売中→「http://www.bungakushodo.jp/05publication/index.html

(参考)目次

プロローグ
1 名匠 伊上凡骨伝 名人・奇人・川柳人と言われた男
 一 名匠木版師誕生
 二 『明星』時代の幕開け
 三 懸賞当選小説「金春稲荷」
 四 赤城山登山、素劇のことなど
 五 美術誌『光風』と『明星』の隆盛のころ
 六 『スバル』の時代
 七 「パンの会」の奇人
 八 川柳家凡骨
 九 吉川英治との出会い
 十 石井柏亭「東京十二景」と「日本風景版画」
 十一 岸田劉生との仕事
 十二 第二次『明星』時代
 十三 吉川英治鳴門秘帖』誕生秘話
 十四 語られる晩年の逸話
 十五 凡骨時代の終焉
 十六 「凡骨版画展覧会」
2 名匠伊上凡骨の装丁版画芸術
 一 仏文詩集『聖ジュヌビエーブ』(一九二三、新潮社)
 二 与謝野鉄幹・晶子『毒草』(一九〇四、本郷書院)
 三 吉井勇『酒ほがひ』(一九一〇、昴発行所)
 四 岸田劉生『劉生図案画集』(一九二一、聚英閣)
 五 夏目漱石こゝろ』(一九一四、岩波書店
 六 木下杢太郎『和泉屋染物店』(一九一二、東雲堂書店)
 七 吉川英治『貝殻一平』上・下巻(一九二九、三〇、先進社)
 八 伊上凡骨編『思ひ出艸』(一九〇三、金尾文淵堂)
 九 鈴木三重吉『三重吉全作集』(一九一五〜六、春陽堂
 十 凡骨の仕事と「伊上凡骨版画一覧」
エピローグ
伊上凡骨年譜
主要参考文献

*1:実際は、江川仙太郎の流れを汲む二代目大倉半兵衛に弟子入りしたようだ。