神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

荷風を盗んだ猪場毅が編集発行した『南紀藝術』(南紀藝術社)と無名の画家太田良平

f:id:jyunku:20210902193232j:plain
 8月12日下鴨納涼古本まつり2日目、雨の中シルヴァン書房のテントへ。絵葉書の箱は並べられずに積まれた状態だったので、最近チェックしてなかったビニール袋に入った紙ものを見る。そうすると、南紀藝術社が「無名の青年画家太田良平」の「プロ風俗画展」を開催する旨の案内葉書を発見。800円。
 和歌山市にあった南紀藝術社が発行した『南紀藝術』は、拙ブログを見る近代文学研究者なら御存知だろう。昭和6年9月創刊され、9年1月10号で終刊した。編集発行は猪場毅という問題多き人物で、昨年善渡爾宗衛・杉山淳編『荷風を盗んだ男:「猪場毅」という波紋』(幻戯書房)が出たところである。平井呈一とともに永井荷風の色紙、短冊の偽筆を製作・販売したり、『四畳半襖の下張』を無断で販売したとされる。
 後にそんな事件を起こす猪場ではあるが、『南紀藝術』は素晴らしい雑誌だったようだ。マイクロフィッシュによる復刻版も刊行されている。紅野敏郎「逍遥・文学誌(20):春夫・潤一郎・加藤一夫・竹内勝太郎・阪中正夫・沖野岩三郎ら(上)」『國文學:解釈と教材』38巻2号(学燈社、平成5年2月)によると、「やや横長の変形版だが、直接間接紀州にかかわりのある人びとを軸とした、ゆったりとした文芸随想誌で、考証、美術の要素をも存分に含んでいる」という。9号、10号の表紙・本文用紙は紀州の和紙が用いられ、10号には壽岳文章の次のような絶賛の言葉が載っているともある。壽岳の心をしっかり捉えたようだ。

 紀州の紙を、それもたゞ『国のもの』と言ふだけの理由でなく、『美しさ』といふことを念頭においてお用ゐになり印刷のはし/\”にまでよく注意がゆきとゞいてゐるのは感心いたしました。私が今までに見た雑誌の中で最も感心したものゝ一つです。(略)

 入手したのは、前記3月21日付け葉書のほか、昭和7年3月19日付け海草郡雑賀崎村の谷井済一宛の封筒と、「南紀藝術社規」*1や保田龍門・藤田進一郎の祝辞、喜多村進・加藤一夫坪内士行・阪中正夫・高谷伸・三上秀吉・玉置照信・楳垣實の「反響」、1号~4号の総目次などが載ったリーフレットである。谷井は明治40年東京帝国大学文科大学史学科卒業後、京都帝国大学大学院で日本古代史を研究した人物である。朝鮮総督府古蹟調査委員などを務めた後、和歌山に帰郷していた。無名の画家太田の経歴は、調べていない。同名の彫刻家がいるので、紛らわしい。『南紀藝術』では4号、昭和7年3月に阪中正夫「村の日記」のカットや裏絵を描いている。案内葉書には、「貧乏人の風俗三十態」とあり、面白そうな展覧会である。
 色々問題を起こした猪場だが、紀田順一郎監修・荒俣宏編『平井呈一:生涯とその作品』(松籟社、令和3年5月)160頁には、驚くべき記述がある。

一九四八年(昭和二三)
 九月一三日、猪場毅、岩波書店が改修を決定した『辞苑』のために編集部を設置したので、部員として雇われる。編集長は新村出で、昭和三〇年五月に『広辞苑』として初版発売した。その編集後記に猪場毅の名前がある。

 『広辞苑』の編集部に潜り込んでいたらしい。『南紀藝術』10号には新村の「南海風景」が載っているので、その時の伝手が生かされたのかもしれない。

*1:荷風を盗んだ男』に収録されている。