神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭和8年竹中郁から川西英に贈られた詩とはーー小磯記念美術館で開館30年特別展「竹中郁と小磯良平」、神戸ゆかりの美術館で特別展「川西英」を開催予定ーー


 久しぶりに小磯記念美術館に行ってきました。お目当ては、特別展「秘蔵の小磯良平ーー武田薬品コレクションから」に出品されている薬用植物画である。薬用植物学を多少かじったこともあって、小磯の作品の中でも好きな画である。
 美術館で、次の特別展は開館30年記念の「竹中郁小磯良平ーー詩人と画家の回想録(メモワール)ーー」であること、神戸ゆかりの美術館で特別展「川西英~三つの百景」が開催予定であることを知った。前者は10月8日~12月18日、後者は10月15日~12月25日の会期である。
 それで、数年前に中之島公会堂の古本まつりでモズブックスから昭和8年8月3日付けの竹中郁から川西英宛の書簡を買ったことを思い出した。ん千円もしました。もう一通誰の書簡だったか川西宛書簡が出ていたが、そちらは買わなかった。川西の遺品がまとまって市会に出たのだろうか。
 無事に発掘された書簡の内容を紹介しよう。川西から「ハアゲンベツク」の話はいずれゆっくり聴きたいこと、竹中もコダックを持って馬車を写しに行ったと書かれている。これは、『生誕150年川西英回顧展』(神戸市立小磯記念美術館平成26年10月)54・55頁に出ている昭和8年夏ドイツから阪神浜甲子園に来たハーゲンベック・サーカスのことである。川西は、サーカスに通って翌年版画荘から『サーカス』(昭和9年1月)と『曲馬写生帖』(昭和9年5月)を刊行している。
 また、川西から野球絵葉書を貰ったこと、竹中が近く画廊へ行きたいことも書かれている。これは、図録の年譜にある昭和8年8月1日~5日に神戸で開催された野球美術展だろう。川西は、《甲子園野球大会入場式》《甲子園野球》などを出品している。
 竹中と川西は、いつ知り合ったのだろうか。川西(明治27年生)の方が10歳年上だが、2人とも神戸市兵庫区生まれ、神戸市立兵庫幼稚園、神戸市立入江小学校卒という共通点がある。足立巻一『評伝竹中郁:その青春と詩の出発』(理論社、昭和61年9月)111頁は、大正15年6月30日消印の川西宛の今井朝路・竹中連名の葉書に言及しているので、相当若い頃からの知り合いである。なお、足立は「川西英あての今井の書簡が大量に英の三男祐三郎(版画家)に伝えられている」としているので、本書簡も祐三郎の旧蔵かもしれない。
 一般的に竹中と川西の関係で話題になるのは、竹中が編集・発行した第2次『羅針』(海港詩人倶楽部、昭和9年2月~11年2月)に川西が表紙・カットを書いていることである。同誌第1号には小磯がカットを描いている。竹中と小磯は、第二神戸中学校以来の親友であった。
 書簡には、もう一つ気になることが書いてある。「詩を一つ書いてみてました。別紙ごらんにいれます」である。しかし、別紙は見当たらない。昭和8年8月竹中はどういう詩を書いたのだろうか。
追記:「別紙」は「別便」だったようで、熊本の古書店ぬりえ屋さんが詩の書かれた原稿用紙2枚入りの同日消印の封書を持っているとのこと。