神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

志賀直哉と国木田独歩


志賀直哉の日記*1には独歩に関する面白い記述が幾つかある。


明治37年5月24日 小山内君の話によれば文学者も随分腐敗してる 第一姉崎さん初め、紅葉でも鏡花でも水蔭でも風葉、国木田、−生田でも 驚いた


「小山内」は小山内薫で、国木田の「腐敗」とは黒岩さんの『編集者 国木田独歩の時代』にも出てくる愛人の看護婦奥井君子との関係だろうか。それにしても志賀が小山内から聞いたことをもっと記録しておいてくれれば面白いのだが。

明治38年1月9日 ○有島は国木田独歩の行為を趣味ある男らしきものなりといふ、


全集では「国木田独歩の行為」への注として、「ここでは、日露戦争の勃発によって、国木田独歩が出版経営者としての成功を収めたことを指しているか」とある。確かに『戦時画報』が大成功を収めていた時期だからそのとおりか。有島生馬のいう「趣味ある男らしき」という表現は含蓄がある表現だね。


独歩は明治41年6月没。志賀家の墓は独歩の墓と同じ青山霊園にある。志賀が独歩の墓へ詣でた記録もあった。

明治44年2月4日 午前九里、訪問、正親町がゐて、午后、此所を出て九里と独歩の墓に詣で、母の墓へ行きブラヽ ヽ と歩いて帰る、

*1:志賀直哉全集』第11巻、第12巻