日露戦争期に露西亜(ロシア)の軍事探偵(スパイ)のことを「露探」と呼んだが、その疑惑を受けた最初の人物は、長田秋濤であった。長田や秋山定輔など露探の容疑をかけられた人達については、奥武則『露探』(中央公論新社、2007年8月)に詳しい。
同書の年表によると、
明治36年8月29日 権藤震二が『電報通信』で長田秋濤を「露探」と指弾
9月4日 長田秋濤、権藤震二を告訴
11月4日 東京区裁判所、権藤に無罪判決
明治36年10月26日 長田秋濤、露探一件ニ付云々の談あり。明朝早川早治を訪問之筈也。
10月27日 早朝早川早治を下谷に訪ハんとて家を出づ。途中同人の余を訪ひ来るに会し同伴帰宅。半日長田秋濤之露探事件を話し、一時より参校館務を処す。又秋濤と話す。
11月4日 就寝後早川、秋濤事件ニ関し被告ニ無罪之判決を与へし始末を云々す。
新知見となる事実はないかもしれないが、「長田秋濤」とか、「露探」とか出てくると、ワクワクするね。
なお、長田は明治32年9月から38年7月まで東京専門学校(早稲田大学)の仏語の講師であった。
(参考)露探疑惑を受ける前は、ハイカラな人物として知られていたようだ。外骨の『滑稽新聞』第54号(明治36年8月5日発行)中の「滑稽名数(一)」に、
▲当世三ハイカラー 気障沢山いやみ至極の当世高襟紳士の標本として世間に名高いのは、望月小太郎、松本君平、長田秋濤の三人である、之を当世三大ハイカラーと云ふ(新聞)
とある。松本君平は当時東京政治学校長でよかったかしら。
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南陀楼綾繁さんが小谷野敦編『童貞小説集』(ちくま文庫)の書評を『COMIC Mate』に載せるみたいだが、いつ発売されるのだろう。→「ナンダロウアヤシゲな日々」
『ダ・ヴィンチ』の「今月の注目本130」に『非望』あり。130分の1だが。