神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 それでも三角寛は偉い!


筒井功『サンカの真実 三角寛の虚構』(文春新書、2006年10月)には、


三角が実際に接した、サンカと呼んでよい人びとは、辰三郎と、その周辺にいた、せいぜいで十数家族にすぎない。三角は、ほかの地方では、取材といえるほどのことは、ほとんどしていない*1。わずかに一、二の例外を認め得るが、それとても関東南部にとどまっていた。出身地の九州においてすら、ろくに調べていないのである。それでいてサンカのことは何でも知っているかのようなことを書き、調査が東北地方を除く全国に及んでいたと称していたのだ。


この「辰三郎」、久保田辰三郎の子供が生存していることを発見し、報告したのが、利田敏『サンカの末裔を訪ねて』(批評社、2005年11月)。『歴史民俗学』第22号の初出を読んだときは、大発見と思ったものだが、筒井の書を読むと、結局、三角が『サンカの社会』などで写真付で報告した辰三郎やその子供達などのサンカ自身は、確かに存在し、サンカと言えるものではあったのだが、撮影に当たり天幕・衣装等は三角が用意するなど、研究内容のほとんどは三角の頭の中にあるサンカ像に合うものにするためのやらせやデッチアゲによる捏造であったということになる。


かつて、沖浦和光氏は、三角の虚実ない交ぜの研究について、「功罪相償う」(『幻の漂泊民・サンカ』)と述べたが、筒井は「研究の障害にしかならない」という。それでも、三角寛の研究内容には価値があるとする側の反論を是非、読みたいものである。


余談:映画「瀬降り物語」のパンフって、存在するなら是非ほしいが・・・

*1:筒井によれば、「三角が接したサンカは、埼玉県中部域を移動していた集団に、ほとんど限局されていた」とのこと。