神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戦前の雑誌「戦争文化」って、どこかに落ちていないか


小島威彦の自伝『百年目にあけた玉手箱』は、登場人物が多すぎる上に、索引がないので、とても人名を覚えきれないのだが、第4巻の次の一節にも見落としていた人名があった。これは、仲小路彰が世界創造社から「改造」や「中央公論」に対抗して、「戦争文化」なる雑誌を出そうと言うのに対して、小島が金がかかりすぎるとして反対したため、仲小路が説得する場面。


「この戦争文化研究所のなかにだけでも若々しい知性が溢れてるじゃないですか。あなたの傍に満田巌君がいるでしょう。彼は『改造』の編集者だった。その枠を飛び越えて、あなたの傍にやってきた人じゃあありませんか。その満田さんと相談して御覧なさい。それに同盟[通信]の波多[尚]さんがいるじゃありませんか。それに清水[宣雄]や外務省調査嘱託の片岡やドイツ大使館の木村[捨象]君やNHKの牧[定忠]君や、満田君の親友、あの東大経済出身の逸足、西谷[弥平衛]さんもそこにいる。マルキシズムを潜ってつやつやしてるじゃありませんか。それにあなたの研究所の山本[饒]君。彼は弘文堂の八坂社長のお婿さんで、あの数年前世界哲学史プラトンアリストテレスの二大系に整頓した山本君の弟ですよ。兄弟揃って最近の東大哲学科を大きなスケールに纏めた僕たちの好敵手ですよ。文章も鋭くてすっきりしている。文学、芸術、教育、経済、科学、民族、スポーツ、戦争の全面にわたって充分闘える」


満田については、佐藤卓己言論統制』によると講談社の顧問の一人(7月2日参照)。同書によると、西谷弥平衛(経済ジャーナリスト・戦後は産業経済新聞論説委員)も顧問だった。


問題は、「外務省調査嘱託の片岡」なる人物。この人は、7巻に渡る小島の自伝でもこの1回しか登場しないみたい。もしかしたら、6月15日に言及した「公論」に二度に渡り、ムー大陸について執筆した片岡貢司ではないだろうか。そうだとすると、益々スメラ学塾って、トンデモない存在だったことになるぞ!
ちなみに、片岡貢司という名前の人物は、書物奉行氏の教示により、国会図書館雑誌記事索引で検索すると、戦後「経済往来」に何度か執筆をしている。


結局、「戦争文化」は小島の懸念通り、莫大な出版費、広告費のため9号で廃刊したという。『増補版 昭和書籍/新聞/雑誌発禁年表』下巻によれば、昭和14年9月21日に、1巻8号(10月1日発行)が発禁処分*1になっているので、その影響もあったかもしれない。


参考:「書物蔵」11月4日分

*1:「第二次欧州大戦の勃発」11-12頁削除