神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(番外)



2 上林暁と小島威彦



上林暁には、全くと言っていいほど、興味はないのだが、五高で小島と同期生だったということで、その後の小島との交友には関心がある。


小島の『世界創造の哲学的序曲』(昭和11年1月)は、改造社の発行なので、同社の編集者であった上林のツテかとも思ったのだが、そうではなさそうである。同書には、改造社の社主山本實彦、出版部の大島治清、満田巌、装幀の山村一平、校正をした深尾重光らへの謝辞はあるが、上林の名は出てこない。


また、丸山熊雄の『一九三〇年代のパリと私』によれば、小島の『喜望峰に立つ』(昭和15年1月)は、アフリカとアジアの植民地を実地に視察して、旅行中、原稿を書いては送り、「改造」に連載する契約で旅行に出たものだという。


上林の年譜によれば、昭和10年4月に改造社を正式に退社、その前から事実上退社状態だったようだから、小島と改造社を結びつけるきっかけとはなっていない可能性が大きいというべきか。上林の作品に当たれば何かあるかもしれないが、ちと手抜き状態。


(参考)小島の『世界創造〜』について、三木清の日記(三木清全集第19巻)に出てくる。


昭和11年1月23日 小島から著書『世界創造の哲学的序曲』を送つて来る。目次を見るとなかなか大きなものだが、内容はどうか。

     2月1日 小島が来て自分の本の紹介を新聞に書いてくれと頼まれた。これは引受けねばなるまい。

     2月7日 夜二時頃まで起きて、小島の本の紹介文を草した。

2月17日 マーブルで開かれた小島の出版記念会に出席する。哲学書の出版記念会は珍しいことであり、その上沢山の女性の出席のあつたことも珍しかつた。 


追記:小島のルポの「改造」への掲載は、「東アフリカより」(昭和12年2月号)、「奴隷海岸より ニジェール河」(昭和12年5月号)、「ムッソリーニ世界獲得論」(昭和13年5月号)の3回。