神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

磯崎新先生、わしのブログを見てちょ。


ほよよ、磯崎新先生もスメラ学塾に注目してた。
坂倉準三特集をした『住宅建築』7月号に書かれた「坂倉準三の居場所2」で、1937年4月毎日新聞主催で開かれた仏・日知識人の座談会に坂倉とともに出席した日本人出席者として、当時パリに遊学していた井上清一、川添紫郎、深尾重光、丸山熊雄、山田清彦(きだみのる)、小島威彦を挙げ、その中で特に異色の人物として小島に注目している。坂倉が、帰国後、小島とともにスメラ学塾、財団法人日本世界文化復興会、レオナルド・ダ・ヴィンチ展に関与したこと*1や、戦後、小島が創設したクラブ関西*2、クラブ関東*3の設計を坂倉の建築事務所が担当したことに言及している。従来、坂倉関係の文献では、スメラ学塾ではなくクラブシュメールとの関係が言及され、また、設計担当をしたクラブ関西などは小島の創立だったことには言及されていなかったと思われるので、磯崎先生はわしのブログを見てくれたのかしらと思ったが、

彼は帰朝して、スメラ学塾というものを創る。それが右翼的な政治結社だったのか、いま松岡正剛がやっている連塾のような文化・芸術を論ずる場なのか、これも、私には調べる手がかりがない。


とも書いている。磯崎先生、スメラ学塾について知りたければ、まずはわしのブログを見よ。とりあえずは、畏友の書物蔵氏が作成してくれたまとめ(「http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20070531/p1」)*4を見るべし。


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川上初枝=日高みほの敗戦後の状況が判明。侵攻してきた××軍将校と親しくなり、日本語の××××を発行しようとしたが、××軍に迎合しすぎたか、反×色が濃すぎて不許可。その後、戦前の身分がばれ、××されたという。詳細は刮目して待て。

*1:2006年5月20日参照。

*2:2006年11月1日参照。

*3:昨年12月28日参照。

*4:ただし、このまとめ以降にも幾つか重要な発見をしている。