神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(その18)


9 ダ・ヴィンチ展覧会・コード


昭和17年7月10日から10月10日(注)にかけて、上野池端の産業会館で開催された「アジア復興レオナルド・ダ・ヴィンチ展」。
主催は、日本世界文化復興会。情報局、陸海軍省が後援した。


レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会委員会」のメンバーは、
名誉会長 イタリア大使
会長 海軍大将 末次信正
副会長 男爵 三井高陽
委員長 情報局次長 奥村喜和男
常任委員 坂倉準三
委員 国民精神文化研究所長 伊東延吉
   外務省欧亜局長 安東義良
   海軍省報道部課長海軍大佐 平出英夫
   陸軍省報道部長陸軍大佐 谷萩那幸雄
幹事 情報局第五部長 川面隆三
顧問 海軍大将 有馬良
   陸軍大将 林銑十郎
   公爵 一条実孝
   白鳥敏夫 ほか


なんか、おなじみの面々が多い。
展覧会の展示、建築は坂倉建築研究が設計した。
この展示のうち、「日本世界史大壁画室」というのが、怪しい。
「世界創造」から始まって、上代統一文化圏、宗教国家時代、教権国家時代、民族移動時代、文芸復興ルネッサンス、近世南方建設時代、英蘭米植民地侵略時代、近世西欧文明、明治維新、世界維新と続き、「日本世界文化復興」で終わったようだが、どうもトンデモのにおいがプンプンするなあ。


もともと、この展覧会は、昭和14年のミラノ市開催、昭和16年のニューヨーク万国博覧会での開催に続く、巡回展覧会なのだが、なんで「上代統一文化圏」とか、「明治維新」、「日本世界文化復興」なんて登場するのだろう?
上代において、世界が統一文化状態にあったものが、その後、バラバラになり、欧米諸国による植民地時代を経て、今や日本による聖戦によって、再び統一される復興の時代が来るという流れだろうか・・・


「日本世界文化復興会」というのは、小島威彦の回想によれば、

仲小路さんは、この新たな世界像の現実的問題の鋳造所として、各領域のエリート交流のクラブ設立を提案した。僕はたまたまナチスが蒐集したイギリスの重要クラブの組織研究の資料をもっていたので、久原房之助にはかり、日本商工会議所会頭藤原愛一郎と三井鉱山社長三井高陽にその設立を相談した。ここに三菱、三井、住友がそれぞれ五十万円、個人として藤山愛一郎が三十万円、鈴木由郎が十五万円を醵出し、総額三百万円の財団法人「日本世界文化復興会」が発足することになった。会長に宇垣一成、副会長に藤山愛一郎、理事長に荒川昌二、監事に深尾隆太郎評議員に石坂泰三、郷古潔、向井忠晴、渋沢敬三、船田一雄、三井高陽、西春彦、岸信介、内田祥三らが、顧問に鮎川義介、小倉正恒久原房之助、末次信正、藤原銀次郎、松本健二郎、米内光政、伍堂卓雄らが名を連ね、その本拠として暫定的に仲小路邸が提供され、常任理事として建築家坂倉準三と僕が務めることになった。


ここに名前を挙がっている人物は、どこぞの並木軍平とは異なり、たいていの人名事典に登場する人物(実業家が多い)ので、一々紹介は避ける。異色の人としては、西春彦は外交官で、岩波新書『回想の日本外交』の著者。その娘きよ子は、原智恵子、三浦環と並び、クラブシュメールの女性メンバーであった。深尾隆太郎は、深尾重光や、小島の妻の父。内田祥三は、建築家、東大安田講堂、附属図書館などを設計。


ここには、挙がっていないが、『原智恵子 伝説のピアニスト』(石川康子著)によれば、高松宮殿下が、日本世界文化復興会の名誉総裁であったとのこと。


注:当初の会期。『高松宮日記』の昭和17年11月1日の条に「○九○○上野「ダビンチ」展。」とあることから、会期は延長されたと思われる。