神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大川周明とトンデモ本の世界(その5)


2 大川周明藤澤親雄(補遺)


 藤澤は、エスペラントも含め語学に堪能であった。意外な人に、藤澤の人物について語ってもらおう。
 徳川夢声夢声自伝(中)』(講談社文庫)によると、

 どういうわけで、私みたいな人間が、この重大使命をおびた儀礼艦に乗せられたか?これは今でも、あまりハッキリしない。その時海軍省嘱託の辞令をもらって便乗した民間人は、藤沢親雄、中村研一、皆藤の三氏と私の四人であった。藤沢氏は日本精神鼓吹の学者で、語学の天才である。中村氏は海軍画家として当時有名だった人。皆藤氏は同盟通信の記者である。三氏とも軍艦に乗り込んで、それぞれの仕事がある。私にいたっては、別になにもないのである。

注:「儀礼艦」とは、昭和12年に、英国皇帝の戴冠式に、派遣された「足柄」のこと。


 『創造的日本学』(独逸哲学博士藤澤親雄遺稿。昭和39年2月発行)中の「経歴年譜抄」によれば、藤澤の派遣理由は、「ジョージ六世陛下の戴冠式秩父宮殿下の主任通訳官として随行」とされている。


 また、藤澤とエスペラントの関係について、『帝国日本の言語編制』(安田敏朗著)では、藤澤の「日満両国の共通語問題」(『満蒙』14巻3号)を引用して、

エスペラントの公用化によつて日満両国民が完全な道義的提携を行ふことは取りも直さず王道主義の実現に外ならない」という立場で、あくまでも国際補助語として、「満洲国」の公用語エスペラント採用を勧める意見もあった。

と紹介されている。