神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

きだみのる『人生逃亡者の記録』(中公新書)は面白し


これまた品切れ状態だが、中公新書きだみのる『人生逃亡者の記録』(昭和47年7月)は役に立った。きだがすっぽんぽんのまま、小島威彦と初対面したことは、一昨年7月5日に言及したが、小島より前に藤澤親雄に出会っていたことがわかる。

この年*1の秋、おまいはジュネーブの国際労働会議に顧問の船員組合代表の岡崎憲付きとして行くことになる。(略)
ジュネーブでは農業代表の顧問氏、その周囲に藤沢親雄氏、関口泰氏がいた。ジュネーブに到着して間もなくおまいは藤沢親雄に誘われて、園遊会式パーティに行った。


「おまい」はきだのこと。藤澤の『創造的日本学』所収の年譜の大正8年の欄には、元満鉄総裁松岡均平男爵に随行してジュネーブ国際連盟に出席とある。


このほか、きだのこの本によって、一昨年9月4日に言及した八木さわ子が、宮島資夫の夫人麗子の妹と判明。

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「北方人」日記さんが、紀田順一郎氏・荒俣宏氏とともに写る山下武氏の写真をアップしてくれている。


室井尚『タバコ狩り』(平凡社新書)。猫猫先生への言及あり。

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文献によって「常磐木倶楽部」だったり、「常盤木倶楽部」だったりする古書展会場となった貸席は、後者が正しいようだ。『志賀直哉全集第十二巻』所収の志賀の日記明治43年1月23日の条の「常磐木倶楽部」の注として、「日本橋区万町八にある貸席。「常盤木倶楽部」が正しい」とある。


猫猫先生がおっしゃっていることには、割と都立図書館のOPACが役に立つことがある。

*1:きだや藤沢の年譜では大正8年とされているが、正しくは9年。