神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

京都まちなか古本市で『ウスヰ書報』第3輯(ウスヰ書房)を発見

京都古書会館で開催された京都まちなか古本市では色々拾えたが、そのうちの一冊。『ウスヰ書報』第3輯(ウスヰ書房、昭和15年1月)、7頁非売品。吉岡書店出品千円。500円位で拾いたいところだが、二度と出会えない可能性が高いので確保。残しておいたら、林哲夫氏かゆずぽん氏が買ったかもしれない。奥付に8千部とあるので沢山残っていそうなものだが、必ずしも発行部数が多ければ保存される確率が高くなるわけではない。非売品の小冊子のPR誌なのでこれ単独で古書市場に出回るのは稀で、ウスヰ書房(後に臼井書房)の出版物に挟み込まれた物が残って出回るぐらいだろう。実際、ゆずぽん氏が同題の新刊案内(昭和17年1月)を所持しているが、詩集に挟み込まれていたものだという。
さて今回入手した『ウスヰ書報』の内容は新刊案内だけではなく、潁原退蔵「歌枕」のほか「学生層の読みもの」(ウスヰ書房調)、「ウスヰ書房へおくる言葉」が掲載されている。後者の執筆者は、佐成謙太郎(女子学習院教授)、斎藤清衛(文学博士)、伊東静雄(コギト)。ウスヰ書房の創業は昭和13年10月だが、「後記」には「今や一週[ママ]年、漸く在庫品も、文藝・法経・理科・工科と各科充実す、加ふるに店舗としての体制もととのひました」とある。
『潁原退蔵著作集』別巻(中央公論社、昭和59年3月)の「年譜」をみると、昭和13年12月の欄に「ウスヰ書房へ望む(ウスヰ書報)注:アンケート回答」とあるので、おそらく同月発行分が創刊号であろう。終刊号は不明。
面白いのは、表紙に「ウスヰ書報」とあり、裏表紙は「タシロ写報」のタイトルと子供の写真、「農大運動場裏 田代写真場」とあることである。本冊子は、「ウスヰ書報」と「タシロ写報」の合同のPR誌らしい。5頁までは専らウスヰ書房関係の記事だが、6頁の上段は「ウスヰ書房特別取扱書籍」、中・下段は「自讃他讃」として田代晃二「ウスヰ書房におくる」と臼井喜之助「田代写真場におくる」が掲載されている。7頁は田代の「素人写真・玄人写真」と奥付*1のほか、田代晃二写真場の営業種目が掲載されている。臼井の文章には田代について、「京大で地球物理を学んでゐた田代君がいまでは、アトリエ帽をあみだに被つて、素人写真・玄人写真を云々し」とある。この田代、どうも見覚えがあると思ったら「植物学者田代善太郎、霊動をなし得たり」などで利用した『田代善太郎日記』の編者田代晃二と同一人物だった。同書の「編者略歴」によれば、

明治42年 長崎市生、善太郎二男
45年 善太郎の転任で鹿児島県加治木町
大正14年 善太郎の京都大学理学部嘱託就任で京都へ移り、京都府立第二中学校に転入学。第三高等学校理科へ進学。
昭和6年 京都大学理学部物理学科へ入学したが、中途退学、東京で女学校教師、雑誌編集、写真研究などに携わる。
昭和18年 NHKに入社
40年 定年退職
41年 華頂短期大学教授、甲南女子大学講師

京大中退後上京するまでに、田代写真場を経営し、臼井と合同冊子を発行していたことになる。植物学者田代善太郎の二男と臼井喜之助が繋がってくるとは想像を絶する事態だ。

*1:編輯兼発行者臼井喜之助、発行所ウスヰ書房