神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

楠部南崖の俳誌『変人』(俳華堂)と小川千甕ー『縦横無尽』(求龍堂)の「小川千甕年譜」「小川千甕書誌」への補足ー


 10月28日、出品している皓星社の古本市への表敬訪問のために上京。東京古書会館で前日から開催している特選古書即売展も覗いてきた。2日目のしかも開場から数時間経っていたので、「特選」度は薄かった。しかし、あきつ書店で『変人』(俳華堂)なる俳誌を発見。発行人は、東京市下谷区谷中町の楠部善男(号南崖)である。俳誌そのものには興味がないが、目次に小川千甕(おがわ・せんよう)の名前があるので買ってみた。2冊で1,500円。
 1巻2号,大正15年7月には、「からだとみさほと」掲載。「遊女の貞操観」に関する随筆である。「編輯後記」に「原稿をお願した先生方はどなたも快く、すぐに御執筆下さいました。本号の執筆者、千甕氏は画壇に(略)有名な方」とあるので、同誌への初登場と思われる。
 2巻4号,昭和2年4月では、表紙題字を担当している。また、南崖「編輯室より」には、「四月二日出発、伊勢、三河方面へ千甕画伯と旬日の旅をしました」とある。素堂報「勝浦俳句会」には、旅行中の作と思われる千甕の2句が出ている。千甕の旅行好きについては、「大正11年今日も旅する小川千甕 - 神保町系オタオタ日記」で紹介したことがある。
 千甕については、平成27年12月~28年1月京都文化博物館で開催された展覧会の図録『縦横無尽:小川千甕という生き方』(求龍堂平成26年11月)に詳しいところである。私は観に行って図録も持っているので、早速調査。上記については、増渕鏡子編「小川千甕年譜」と橘川英規編「小川千甕書誌」に記載が無かった。拙ブログにより補足とさせてもらおう。
 本誌は、『俳句辞典:近代』(桜楓社、昭和52年11月)によれば、大正15年6月創刊のホトトギス派の俳誌である。千甕は度々『ホトトギス』に表紙画、裏画、挿画等を描いたり、俳句を寄稿していたので、南崖とは交流があったのだろう。また、『俳文学大辞典』(角川書店、平成7年10月)によれば、師系は村上鬼城で、昭和7年12月7巻12号を発行した後、南崖の満州中国東北部)移住のため休刊したと思われるとされている。ただし、群馬県土屋文明記念文学館が8巻1号,昭和8年1月を所蔵しているので、終刊号についての記述は不正確である。