先月の京都古書会館の古本まつりには、一時間ほど遅刻。それでも、シルヴァン書房から葉書2枚と本1冊を購入できた。今回紹介する昭和10年6月30日付け河合卯之助から高槻の吉田健治宛葉書は、300円。
文面は一部しか解読できないが、「昨暁の大雷雨」がすさまじく、吉田のことを案じ、見舞う内容のようだ。昭和10年6月29日の「大雷雨」は、京都や大阪に大きな被害をもたらした。『京都府百年の年表7』(京都府、昭和45年3月)によれば、「梅雨前線による豪雨で市内各所の河川氾濫。未曽有の被害、死傷者83名、家屋被害43,289戸、鴨川氾濫により三条・五条大橋はじめ56橋流出」の被害があった。この鴨川大洪水の絵葉書はよく見かけますね。宛先の吉田が住む高槻の芥川も決壊寸前になったようだ。なお、吉田の経歴は不詳。
昭和3年に向日窯を開窯した河合邸には、大きな被害はなかったようだ。河合紀編『河合卯之助遺文』(用美社、昭和58年3月)の略年譜には、昭和10年の条は存在しない。この年の河合の活動を同書収録の随筆から作成しておこう。
昭和10年冬 朝鮮旅行で李王家博物館を観たり、李朝の陶器を購入した*1。
同年5月 京都大毎会館へバーナード・リーチの個展を観に行き、富本憲吉と出会う*2。
同年11月15日 恩賜京都博物館へ本阿弥光悦展覧会を観に行く*3。
『河合卯之助遺文』の序文は、壽岳文章である。「河合さん一家とは、卯之助さん亡きあとも親近を重ねて今日に至っている」とあり、昭和8年から向日町に住んでいた壽岳は同じ向日町の文化人として河合と親しかったようだ。