神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『児童百科大辞典』完結で賑わう玉川学園出版部と京都の書道家多和格


 玉川大学出版部のホームページで「会社情報 - 玉川大学出版部」を見ると、昭和4年玉川学園出版部として発足し、昭和7年日本で初めての子ども向け百科事典『児童百科大辞典』(全30巻)を刊行したことが書かれている。『児童百科大辞典』は、今年が創刊90周年に当たる。完結は、昭和12年である。
 手元に大辞典完結記念に出された可能性がある絵葉書がある。冒頭に挙げた写真で、昭和13年10月5日消印の玉川学園創設者小原國芳から京都市の多和格宛である。キャプションには、「出版部」とある。平成29年8月下鴨神社納涼古本まつりでシルヴァン書房から400円で入手。その時は小原の署名とは分からなかった。翌年の5月「小原國芳」なら玉川大学[ママ]出版部ということになるとツイートしたら、玉川大学出版部の方から、前年の大辞典完結記念に発行したものではないかと御教示いただいた。Twitterの威力ですね。

 その御教示により、もう一つの謎も解明できた。絵葉書に写っている黒板の中に「百大倉庫」と書かれていて、「百大」は渋谷の百軒店のような地名かと思っていたのだが、「百科大辞典」の略称だったのだ。長い間の疑問が解けた。
 一方、宛先の多和については、さっぱり情報が得られなかった。ところが、このブログで何度か引用したことがある『田代善太郎日記昭和篇』(創元社、昭和48年10月)に多和格という名前が出てくるではないか。

(昭和11年5月)
10. 日. (略)
 晃二、写真業を始むるにつき知人を招きて披露す。白石(荘治)島田(定治)多和兄弟(格、勝人)福井(尚一)氏等14名。村田(国男)北牧、森下(邦堂)氏等加勢してくれたり。
11. 月. 午後、晃二、多和氏の処に撮影にゆく。(略)
(同年10月)
27. 火. (略)
 夜、多和(格)氏来り習字。(略)
(昭和16年1月)
3. 金. (略)
 多和(格)氏(習字の先生をして居る人)来訪。
(略)

注:( )内は、「習字の先生をして居る人」を除き、編者田代晃二(善太郎の次男)による注

 田代は、昭和15年まで京都帝国大学理学部植物学教室の嘱託であった。同時期の京都市にいた2人の多和格。同定する決め手はないのだが、小原と交流があって書道の先生なら、どこかの師範学校卒の教員かと推測できるものの、「次世代デジタルライブラリー」では1件もヒットしない。引き続き探索が必要である。