神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

四天王寺の秋の大古本祭りで見つけた須原玄雄『坐禅の力』(護国山聖徳寺、昭和13年)ーー大谷栄一「『皇道仏教』の形成」も活用する「ざっさくプラス」ーー

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 いよいよ四天王寺秋の大古本祭りが近づいてきました。古本強化月間である10月の始まりですね。ということで、昨年コロナ禍のせいでテント無しの上に小規模だった100円均一コーナーで見つけた本を紹介しよう。須原玄雄『坐禅の力』(護国山聖徳寺、昭和13年7月)、52頁である。聖徳寺は現在も北海道中川郡池田町にある曹洞宗の寺である。初日に見つけたが買わず、翌日だったかに購入。目次の一部を挙げておく。
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 曹洞宗師家の大道英仙「序」によると、須原は山本徹玄師に随侍して参禅の第一歩を仰し、更に原田祖岳師の門を叩いたという。本文中では、「聖戦せずして平和なし」が皇道仏教的、皇道禅的で興味深かった

聖戦の力なくして、永久に平和は此の地上に現出せない。我が国が世界三大強国の一つとして東洋に君臨し、国威を世界に宣揚せるは、上に万世一系天皇を戴き、精鋭無比なる戦闘の実力あるによる。
禅は、世界無数の宗教の最高峰に君臨し他の追従を許さず、大宇宙の生命の真実相を世界に高唱し得るは、坐禅肉弾の聖戦の実行あるによる。
(略)
坐禅は心霊の聖戦である。坐禅の聖戦なくして、無我の大平和境は断じて打開出来ない 諸賢諸志 単なる御先き真暗な空虚なる観念の盲意識の生活に浮蝣してゐては生命の堕落である。

 「皇道仏教」について、大谷栄一「『皇道仏教』の形成」『戦争社会学3:宗教からみる戦争』(みずき書林、令和元年6月)を読んでみた。そもそも「皇道」が戦前の日本社会で刊行された新聞記事や論文等のタイトルにどれだけ使われたを調べた新野和暢『皇道仏教と大陸布教:十五年戦争期の宗教と国家』(社会評論社平成26年2月)に続き、「ざっさくプラス」を使い、

(略)最新のデータ(二〇一八年一二月二七日時点)で調べ直すと、一九一三年に五件、一九二一年に一四件、一九三二年に一三件、一九三三年に五〇件、一九三四年に九一件を数えた。ただしピークは一九四二年の九二件だった。(略)
 以上から、「皇道」が飛躍的に新聞・雑誌等で使われるようになったのは、一九三三年以降であることがわかった。

としている。その後収録件数は増えているが、この傾向は現時点でも同じである。文字よりもグラフで示した方が分かりやすいだろう。「ざっさくプラス」で「皇道」を検索した結果(戦前・戦中分)のグラフは、次のとおりである。
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 「ざっさくプラス」はグラフ付きなので便利ですね。
詳しくは、「雑誌記事索引集成データベース - ざっさくプラス」参照。研究者の諸君はどんどん使いましょう。