神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『園藝界』編輯者前田曙山と牧野富太郎ーー『牧野富太郎植物採集行動録 明治・大正篇』への補足ーー

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 京阪書房の均一台で見つけた『園藝界』(春陽堂)については、「牧野富太郎や五百城文哉の植物画掲載の『園藝界』(春陽堂、明治38年)ーー一條成美の絵葉書『新粧』の広告もーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。奥付の編輯者は、前田次郎である。誰だっけと思ったら、小説家前田曙山(まえだ・しょざん)の本名でした。『近代文学研究叢書』47巻(昭和女子大学近代文学研究室、昭和53年5月)146・147頁によると、曙山は明治36年後半から37、8年にかけて園芸方面の仕事に専念していて、

「夕刻、矢崎君、牧野富太郎君と上野へ植物採集に行く」(明治36・10・18ー日ー晴)などという記録が散見される。また春陽堂に勤務したのは三十九年まで(読売新聞 大衆作家列伝四、大14・5・5)といわれるが、この日記によれば三十六年後半は連日自宅に春陽堂の使いが訪問していたり、「春陽堂より園芸*1のコマ刷上りを送り来る」(明36・11・5)などの記事が多いことから、すでにこのころ、春陽堂を退社、あるいは少くとも正社員ではなく、嘱託ぐらいのフリーな形で関係を持続していたことと推察される。

 「記録」は、曙山の『御客帳』(明治36年9月15日から37年6月2日までの来客控えと日記)である。明治36年10月18日の牧野の植物採集は、山本正江・田中伸幸編『牧野富太郎植物採集行動録』(高知県立牧野植物園、平成16年3月)にも記載がない情報である。また『近代文学研究叢書』は曙山の著作年表や資料年表で『園藝界』(明治37年10月創刊)に言及しているが、同誌の編輯をしていたことに言及していないのは不思議である。
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*1:明治36年7月から刊行していた曙山編『園藝文庫』(春陽堂)と思われる。