平安蚤の市でpieinthesky氏から葛原しげる*1編『老龍還暦賀集』(葛原しげる、大正2年8月)を購入。200円。これが思わぬ掘り出し物であった。葛原老龍(本名二郎)の還暦を記念して、次男しげるが知人等に頼み和歌、漢詩、俳句、書画等を寄せてもらった非売品。国会図書館サーチではヒットしない。どこにも残っていないか。しげるは祖父葛原勾当の日記『葛原勾当日記』(大正4年)も刊行していて、その古書価は高い。
和本の饅頭本や還暦・古希等の記念本はよく見かけるが、略歴や後書きに特に興味を引く記載があると購入している。今回は、後書きに次のような記載があった。
おのれ、当時私立精華学校に教の鞭をとりて、明暮児童の学業のすゝむを楽みてありしが、かねて思ふ所もあり、はた文部省及おのれの母校東京高等師範学校の諸氏のすゝめもありて、形こそちがへ同じ教育の為なればとて、国定教科書の月刊雑誌「小学生」といふを創刊する事となりぬ。(略)
月刊雑誌『小学生』の創刊!ちょうど『尾崎翠:新発見資料・親族寄稿・論文編』(尾崎翠フォーラム実行委員会、平成28年3月)で、佐々木靖章先生が群馬県立土屋文明記念文学館に寄贈した大正7年の『小学生』から新発見された作品を読んだばかりであった。編者の葛原については、ネットの「誠之館人物誌 「葛原しげる(ニコピン先生)」 詩人、教育者」に詳しい(ただし、若干の誤りがある)。明治19年広島県生まれ、明治41年東京高等師範学校英語科卒業後、九段精華学校の訓導となり、『小学校』の編集主任も務めた。その後博文館に入社し*2、『少年世界』『幼年世界』の編集を務めた。
『小学生』は『日本児童文学大事典』(大日本図書、平成5年10月)によれば、明治44年3月に葛原の編集で同文館から創刊。2巻10号から渡辺光風の編集、文教社発行に移っている。「国定教科書練習雑誌」と銘打ったが徐々に文芸色を出した。主な執筆者に幸田露伴、佐々木邦、竹久夢二、吉屋信子、河井酔茗らがいたという。
『老龍還暦賀集』の寄稿者を見ると、老龍本人よりも編者しげるの人脈によるものが多そうだ。序文は、佐佐木信綱と池田常太郎。和歌には、末松謙澄、木下利玄、池邊義象、棚橋絢子、三輪田眞佐子、三宅龍子、素木しづ、前田夕暮ら。漢詩には、跡見花渓[ママ]、藤澤南岳ら。書には、中[ママ]小路廉、下田次郎ら。画には、大野静方、川合玉堂、鏑木清方、山中古洞、山村耕花、夢二、水島爾保布らの名前が見える。