神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

東北帝国大学工学部の山内清彦と禊の科学者成瀬政男ーー寸葉会で見つけた『学士試験成績簿』からーー

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 何年か前に寸葉会という絵葉書などの紙ものの即売会で、戦前の『学士試験成績簿』を購入した。東北帝国大学工学部電気学科の学生の成績簿である。東大や京大の文学部で更にある程度知名度のある人のものだったら、速攻で買いだ。しかし、これは東北帝大工学部に昭和5年に入学した山内清彦という未知の人物の成績簿である。迷ったが、1,000円だし『学士試験成績簿』の実物は初めて見たので購入。
 中には入学試験時の受験票や大学からの送付文、封筒も入っていてややお得であった。山内はグーグルブックスで検索すると、昭和8年東北帝大を卒業後同大の副手、助手を経て11年山梨高等工業学校教授となり、戦後は福井大学教授だったようだ。まったく無名の人ではなかった。
 タイトルから「学士試験」というペーパー試験が実施されたように思ってしまうが、そうではない。昭和6年度から7年度までの科目試験と論文試験(卒論だろう)の記録である。成績簿と言っても、優良可等の成績の記載はなく、授業教官・試験科目毎に、合格年月日と認印の欄があるだけである。科目は、数学、力学、機械工学通論のほかは、すべて電気関係の科目である。語学や教養の文系科目は、学士試験とは無関係のようだ。
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 教官名で知っているのは、八木アンテナで知られる八木秀次だけだった。機械工学通論の成瀬政男助教授は、吉葉恭行・加藤諭・本村昌文編『帝国大学における研究者の知的基盤:東北帝国大学を中心として』(こぶし書房、令和2年3月)の吉葉「第七章 成瀬政男の科学技術思想とその知的基盤」に出てきて面白い記述があるので、紹介しておこう。
 吉葉論文によると、戦時下の成瀬の科学技術に関わる著述活動で注目すべきキーワードの一つが「禊」であった。成瀬は、昭和18年の『科学朝日』に掲載された横光利一との対談によると、禊を10年もやっていたという。そして、

 また成瀬は、「対症療法なくして」科学技術を発展させると、「人類は滅亡の方向にゆく」と述べ、「科学技術は劇薬」であり「劇薬」を「良薬」にするための「心構へ」が「禊の精神の中に存在する」から科学者や技術者が「禊」を行ったほうが良いという考えも示している。

 更に一戸富士雄論文*1に言及していて、同論文によると、成瀬の『日本技術の母胎』(改訂普及版)は戦後の昭和20年10月発行であるにもかかわらず、「必勝」の信念を平然と吐露している本で狂信的であったこと、科学者としての技術論の根底にあるのは、技術は神の御稜威の一つの現われという「神道的技術論」だったとされている。何とも、注目すべき科学者だった。
追記:紀田順一郎監修・荒俣宏編『平井呈一:生涯とその作品』(松籟社、令和3年5月)146頁に成瀬が出てくる。

成瀬は千葉の出身であり、この年(昭和29年ーー
引用者注)スイスに歯車研究に行く前の休養を兼ねて、程一の家の家主でもある医院に通ってきていたが、たまたま小泉八雲の平井訳本を読んで感動し、訳者への面会を求めてきた。この博士は、八雲が興味を持った古き日本の良さこそが「日本を立て直す力になる」と語ったという。

*1:一戸富士雄「一五年戦争と東北帝国大学」『一五年戦争と日本の医学医療研究会会誌』第3巻第1号、平成14年