神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

田所廣泰・小田村寅二郎らが創立した日本学生協会で指導的役割を果たしたとして公職追放になった経済学者山本勝市

 『公職追放に関する覚書該当者名簿』によると、経済学者山本勝市の公職追放該当事項は、「国民精神文化研究所々員学生協会に於て指導的役割を演ず」である。山本は昭和7年から18年まで国民精神文化研究所の所員であったので前半の方はよいとして、後半の方が確認できない。
 「学生協会」とは、昭和15年に田所廣泰や小田村寅二郎らが創立した日本学生協会と思われる。井上義和『日本主義と東京大学:昭和期学生思想運動の系譜』(柏書房、平成20年7月)を見ると、66頁の注に「小田村寅二郎や田所廣泰らと近い関係にあったため、精神科学研究所メンバーの一斉検挙の後に、山本も取り締まり当局から圧迫を受けるようになり、勤めていた国民精神文化研究所に辞表を提出せざるをえなくなる」とあるものの、日本学生協会との関係は不明である。伊藤隆「山本勝市についての覚書・附山本勝市日記」(1)~(3)『日本文化研究所紀要』1~3号、亜細亜大学があるようなので、それを見ればよいのかもしれない。佐藤卓己先生なら御存知だろうか。
 ところで、「昭和二十一年勅令第二百六十三号の施行に関する件」*1(昭和21年閣令、文部・農林・運輸省令第1号)を見ていたら、教職員不適格者として審査委員会にかけないで指定を受けるべき者の範囲を定めた別表第2の第5項に日本学生協会が出てきた。時期を問わず役員、要職者、編集者等であったものが自動追放となる指定団体として、原理日本社と並んで日本学生協会が挙がっている。日本学生協会の役員等は、教職員を自動追放になったのである。
 なお、同表第4項は昭和12年7月7日から20年9月2日までの間の通算2年以上の在職者について自動追放とする官職として、国民精神文化研究所等の勅任官及び奏任官を挙げている。国民精神文化研究所の所員として京大を教職追放となった西田直二郎は、これに該当したのだろう。

*1:正式名称は、「昭和二十一年勅令第二百六十三号(昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受託ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク教職員ノ除去、就職禁止及復職等ノ件)の施行に関する件」