神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

フランス極東学院長クロード・メートルも読んでいた井上円了:一栄堂書店で見つけた井上玄一『哲学堂随想』から

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 神戸古書倶楽部には、何年も行っていない。入ってすぐ左手に一栄堂書店が出店していたと思う。今は、そこにハモニカブックスが入っているのかな。一栄堂で井上玄一『哲想堂随想』(哲学堂宣揚会、昭和26年12月)を見つけた時は、ビックリ。謄写版、25頁で100円。東洋大学附属図書館にも無いようだ。目次を挙げておく。
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 玄一は、哲学堂の創設者井上円了の長男である。三浦節夫『井上円了:日本近代の先駆者の生涯と思想』(教育評論社平成28年2月)によると、長男の玄一は明治20年9月生まれ、昭和47年12月没。大正2年東京帝国大学法学部卒*1三井銀行を経て、昭和9年から財団法人三井報恩会参事兼文化事業部長に就任し、戦後も役員を継続した。
 入手した玄一著に面白い記述がある。大正5年玄一がフランス領東京(トンキン)へ遊びに行った時の話である。

 ある日、東京の首都河内(ルビ:アノイ)の極東文化学院を訪ね、その院長である年とったフランスの学者にあいました。その院長である年とったフランスの学者にあいました。その人は書庫から井上円了著の外道哲学を出して来られ、これは良い本であると推賞されました。このフランス人はまだ日本へ来たこともないのに私も及ばない程正確な日本語を話し、それよりも驚いたのは外道哲学の漢訳の部分を日本流の漢文読みしたことです。(略)

 この院長は、ネットで読めるクリストフ・マルケ「雑誌『Japan et Extrême-Orient/日本と極東』と1920年代フランスにおける日本学の萌芽」『日仏文化』83号,平成26年1月を見ると、クロード・メートルである。玄一は「このフランス人はまだ日本へ来たこともない」と書いているが、実際は何度も来日経験があったようだ。それにしてもメートル院長が円了の『外道哲学』(哲学館、明治30年2月)を読んでいて、内容も理解していたとは凄い話だ。
参考:円了の娘が岸田劉生の日記に出てくることは、「井上円了に美人の娘あり - 神保町系オタオタ日記」参照。三浦著によると、長女滋野(明治23-昭和29)と次女澄江(明治32-昭和50)がいた。
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*1:正確には、大正2年7月東京帝国大学法科大学経済学科卒。同期に大内兵衛三島弥彦など。