神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

「日本人=バビロン起源説」を提唱した原田敬吾のバビロン学会と無教会主義の塚本虎二

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 戦前の各種団体の名簿を斜め読みするのが好きで、思わぬ人の名前を発見するのが楽しみである。1度見た名簿でもある程度時間を置いて再度見ると、以前はまだ知識のない人物だったため気付かなかった人名を発見することがある。今回、前島礼子「原田敬吾の「日本人=バビロン起源説」とバビロン学会」『小澤実編『近代日本の偽史言説:歴史語りのインテレクチュアル・ヒストリー』勉誠出版,平成29年11月掲載の「バビロン学会会員名簿」をあらためて見てたら、驚いた。行政官塚本虎二の名前があった。
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 一昨年のワークショップ「余白の宗教雑誌:宗教と宗教ならざるものの間」で赤江達也先生の「無教会と個人雑誌の複層ーー塚本虎二『聖書知識』とその周辺」を聴いて、塚本の名前を覚えたのであった。そのおかげで、今回「バビロン学会会員名簿」に塚本の名前を発見できた。塚本は、明治40年7月第一高等学校大学予科(独法科志望)卒、同期に同じく名簿に名前のある田中信良がいる。44年7月東京帝国大学法科大学法律学科(独逸法兼修)卒。同期に田中のほか、重光葵正力松太郎田中千代松、三宅正太郎らがいる。名簿は、大正6年7月に弁護士の原田敬吾が創立したバビロン学会の機関誌『バビロン』掲載で、塚本や田中の名前が載った2号は同年12月発行である。当時、塚本は農商務省大臣官房会計課参事官、田中は鉄道院中部鉄道管理局副参事であった。赤江『「紙上の教会」と日本近代:無教会キリスト教の歴史社会学』(岩波書店、平成25年6月)によると、塚本は内村鑑三の学生グループ「柏会」に参加し、大正8年農商務省を退職した後、父親*1の経済的援助でドイツ留学の準備を進めていたが、大震災で妻を亡くし、留学を取り止め、内村の助手になったという。一時期は「日本人=バビロン起源説」に接したが、深入りはしなかったのだろう。吉永さんのいう「こっちの世界」から「あっちの世界」に半歩踏み出したが、引き返して別の世界へ向かったというところだろうか。
参考:ネットで読める森征一「弁護士 原田敬吾とバビロン学会の設立」『近代日本研究』4号,昭和62年及び佐藤進「バビロン学会と古代学研究所ーー日本における古代オリエント学研究の黎明」『立正大学人文科学研究所年報別冊』10号,平成8年3月

*1:父親の塚本兎三郎は、弁護士である。