神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

民俗学者山上伊豆母の父山上忠麿旧蔵?『大綱遺詠』(江坂雄之輔、明治41年)

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 お盆に三密堂書店で特価本セールが開催された。中止になった下鴨納涼古本まつり用に用意していた特価本を放出したものである。小規模なセールだが、幾つか購入できた。そのうちから、『大綱遺詠』(江坂雄之輔、明治41年3月)を紹介しておこう。大徳寺黄梅院主大江正道「端かき」によると、同院の大綱禅師が残した和歌2万余首から以文会の人々にはかり5百余首を選んだという。年譜がなくどういう人物だったかは不明だが、京都で発行された饅頭本で状態も良かったので、買ってみた。
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 扉に蔵書印が押してある。「山上忠麿印記」か。「印」は違うかもしれない(追記:Twitterで「蔵書印/出版広告」さんから、「什」の可能性を御教示いただきました)。京都で山上忠麿というと、民俗学者山上伊豆母の父親で、江馬務の風俗研究会の礼典部長だった山上忠麿が浮かぶ。伊豆母が忠麿の『風俗研究』への寄稿を纏めた『増補有識故實論集』(大文字書店、平成5年4月。以下「論集」という)の年譜から経歴を要約すると、

明治20年2月 生誕
同39年3月 皇典講究所卒業
同年 冷泉為系伯爵と「頼政忌」再興
大正元年 加茂別雷神社奉職
同13年8月 京都精華高等女学校講師
昭和3年1月 宮内省内匠寮古典研究会顧問兼講師
同年 鈴木鼓村、江馬務吉田神社追儺式創始
同年 小野岩戸落葉神社、道風神社、加茂社宮司
同8年2月 奈良女子高等師範にて「和歌披講式」講演
同年11月 官職を辞し研究生活に入る
同38年3月 芸能史研究会発企人及評議員
同40年2月 永眠

 年譜を見ても、忠麿と大徳寺や大綱との関係は不明。ただ、論集の江馬「深草世継の大人」に「深草鎌倉時代式の邸を構えて、上代風の入木道と和歌とで趣味の生涯を閉じた」とあるので、『大綱遺詠』とは和歌つながりはある。伊豆母の父忠麿が旧蔵者と同定する決め手はないが、論集には江馬のほか、柴田實、林屋辰三郎、金田一春彦、前川佐美雄が寄稿し、冷泉家とも親しかった忠麿である。蔵書が市場に出たとすれば、お宝がありそうではある。
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