神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

日本人は広島への原爆投下まで原子爆弾の存在を知らなかったという俗説の誤りーー中尾麻伊香『核の誘惑』(勁草書房)からーー

 ざっさくプラスで「原子爆弾」をタイトルに含む記事を検索すると、次のような結果となる。
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 昭和20年に初登場(23件)するまでは、見事にゼロである。これを見ると、広島に原爆が投下されるまでは、軍人や物理学者などを除いた一般の日本人は原子爆弾という兵器の存在を知らなかったと思い込んでいる人は、やはりそうだったかと納得してしまうだろう。
 しかし、戦前・戦中を通して原子爆弾については様々なメディアで紹介されていた。このざっさくプラスでヒットする昭和20年の23件のうち1件も、実は『国際グラフ』昭和20年1月号掲載の無記名「科学と経済 原子爆弾」で、ヒロシマ以前である。これ以外のタイトルに「原子爆弾」を含まない記事も含めた多数の事例が、中尾麻伊香『核の誘惑:戦前日本の科学文化と「原子力ユートピア」の出現』(勁草書房平成27年7月)に詳しく紹介されている。
 中尾著から幾つか事例を紹介しておこう。『新青年』(博文館)大正9年8月号掲載の岩下孤舟「世界の最大秘密」には、「日本に居て米国の市街を灰燼に帰せしめる力」「原子爆弾の威力は堂々たる大戦艦も木端微塵」などの小見出しが付いている。昭和15年8月号から翌年3月号の『譚海』(博文館)に連載された海野十三の軍事SF小説「地球要塞」にも、「原子を崩壊して、これをエネルギーに換える」原理を使った「原子弾破壊機」が登場している。
 また、仁科芳雄らが頻繁に核分裂を兵器に利用する可能性について語り始めた昭和16年の開戦前の時期に、「原子爆弾」という言葉が大衆メディアにあらわれたという。『日の出』(新潮社)同年4月号に鈴木徳二「一瞬に丸ビルを吹き飛ばす 原子爆弾の話」という記事が載った。更に、高崎隆治*1は小学生*2の時に『新人』(英語通信社)の昭和16年9月号か10月号で原爆記事を読んだという。この高崎の回想は、『新潮社の戦争責任』(第三文明社、平成15年8月)に掲載された。これに補足すると、高崎は『戦時下の雑誌:その光と影』(風媒社、昭和51年12月)146頁で、『新人』昭和16年9月号(航空特集)の目次を紹介した後、同誌について特記すべきは、先進国のどこかが原子爆弾を完成し、第二次世界大戦に決着を付けると予言したことであるとしている。そして、「原爆の開発に各国が血眼になっていたことやその性能についても国民はまったく知らなかったという俗説は訂正されるべきだろう」と述べている。なお、中尾氏は言及していないが、この『新人』は、中尾著242頁で紹介される佐橋和人「新兵器として見た殺人光線の存否」を掲載した『フレッシュマン』昭和15年12月号の改題誌である。このように原子爆弾は様々な形で戦前・戦中に紹介されていて、広島に落とされた新型爆弾が原子爆弾と直ぐに気付いた日本人もかなりいたはずである。私が読んだ誰かの日記にも、原子爆弾だと気付いた教員が出てきた気がする。
 なお、「ざっさくプラス」は随時追加されているので、前記『日の出』の記事も含め、タイトルに「原子爆弾」が含まれるヒロシマ以前の事例が今後増えていくであろう。また、進化し続けているツールで、今後とも活用していきたい。
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*1:原文では、「高橋隆治」

*2:ママ。正しくは、中学生